せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年01月13日(木) 生活・人生全般を簡素化する心がけ、またはシンプルライフ、そのニ

物に囚われた人々について一寸辛口の事を書いたけれど、それは実のところワタシも含めたバブル期に成長した人々には多い現象かも知れない、とふと思う。

それから、よく戦中や戦後期に生まれた世代では、物が無いのが当たり前という状態で育っているのと身の回りの親密な人や物が離れて行ってしまう辛い体験から、中々捨てられない人が多いという話を聞く。

これは正にワタシの両親などもそれに当たり、特に母が不味い事になっている。

ゴミを捨てようとして、母に止められたり怒鳴られたりした経験は、一度や二度では無い。明らかなゴミであっても、何かに使えるかも知れないなどと言っては一々溜め込んでしまうのは、これは彼女の場合世代の所為だけではなく、先に述べたような精神上の武装問題だろうと思う。

しかし逆に父などは、ワタシがちびた鉛筆を使っているのを見て、そんな貧乏臭い事をするな、新しいのが買えない訳じゃないんだから、と怒鳴りつけた事もあるから、世代問題は一概には言えないと思われる。


ところで以前からしつこく肥満と便秘症との関連について書いているけれど、そうやって体内に不用品を溜め込みがちな人は、実は自室にも同様に不用品を溜め込んでいる、という説がある。

これはワタシの友人に当てはまるのがいて、大変興味深い。以前うんこが出ない友人について書いたけれども、彼女の自宅には他所から貰ってきた中古品の数々が所狭しと置かれていて、文字通り足の踏み場に困るくらいになっている。

尤も彼女には旦那という同居人が居るので、どちらの責任かは計りかねる。

何れにせよ、直して使うと言って壊れた物を積んで置いたり、いつか練習すると言って楽器や外国語会話の道具や家電機器などを片端から貰って来てしまうので、居住スペースと所得に不釣合いな程の家財道具の中に、文字通り埋もれて寝ている。

この家は訪れる度に物が増えていたのだが、一度何だったかの事情で住処を追い出されて、急遽別の家を探さねばならなくなった折にも、どれもこれも捨て難いと言い張って、結局全ての品を半分くらいのスペースになった新居に持ち込んで、新たな同居人から早速苦情を言われたと言っていた。

余談だが、夫婦になってからも「ルームメイト募集」の部屋を探して歩かねばならないのは、傍目に見ていて辛いものがある。向こうも同居人は一人だけ入れるのを想定しているのに、そこへ夫婦で一緒に住みたいとやってくるのは、余り歓迎されないだろうと思う。


実はもう一人、幼少期からの凝り固まった便秘症で肥満気味という知人がいる。彼女の身長はワタシと同じか少し低い位で、体重は決して教えてくれないけれど、それほど太っているようには見えない。しかし服のサイズが、ワタシの着ている程度のを売っている店では発見出来ないらしいので、それはつまり相当でかいという事である。

ある時呼ばれて出掛けて行った彼女のアパートには、脱ぎ散らかした服やら靴やら本・雑誌・書類等の紙物、猫の砂やえさや毛等、色々な物がひっくり返っていた。

特に服は、サイズが微妙に変わる度、これまでのがもう着られないと言って新しいのを買ったりするから、似たようなのが沢山ある。それを毎日取っ替え引っ替えして、入らなかったものは気に入らないからそのままそこいらに放られっぱなしになる。そのうち猫がもみ合ったりして、どれが綺麗なのでどれが汚いのか、判別不可能になってしまうのである。

キッチンには使った後の汚れた食器類がシンクを埋め、開いているカウンターの上も埋め、ガスストーブの上も埋め、ダイニングテーブルの上も埋め、何しろ隙間が無い。

ゴミは既に袋から溢れ、別の袋からもまた溢れ、そしてリサイクルすべきゴミも溢れ、何時の間にやら一緒くたになっている。出掛けに一寸ゴミを出して行けばいいのに、面倒がってそのままにしているから、そのうち猫もじゃれ出して、酷い有様になってくる。

人を呼ぶ前に、少しは掃除というものをしてくれるのがマナーではないかと思うのだけれど、これも恐らく精神上の諸問題の所為でそこまで頭が回らないのだろうと想像する。

これには、ワタシは堪らなくなって思わずキッチンの汚れた食器を洗い始めてしまったのだが、しかし遊びに行く度に彼女の食器洗いをやってやる羽目になってしまったので、これではお互いの為に良くないという事で、以来訪問を辞退する事にした、という経緯がある。

明日はそういう自分の事について、つづく。


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