せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年01月10日(月) 生活・人生全般を簡素化する心がけ、またはシンプルライフ、その一

先日は、丸一日掛けて、コンピューターファイルのバックアップを取り直した。

これまでのやり方は、仕分けの基準が今の生活状況に合わず、しかも自分のやった事にも関わらず、入り組みすぎて却って不明瞭という印象であった。それでこの度「はっきりすっきり」をモットーにしてやってみたらば、これまでより使用するメディアの枚数が減ったので驚いた。それまでの自分が、いかに込み入った人生を自ら選んでいたのかという事を思い知らされる。


「シンプルライフ」という考え方が巷で流行ったらしいが、所有物を減らしたり合成洗剤や添加物を止めたりという様に、形から入って行くのも良いのだけれど、取り入れた新たな考え方や情報を「消化」する期間というのは相応に必要である。そしてそれは、人生経験や精神発達を通して、漸く自分の哲学として確実になって行くような気がする。

そういう生活の一つひとつの中で気付く自分の成長振りなどを感慨深く噛み締めながら、自分のやって来た様々の心がけはこれでよかったのだと一安心してみたりする。


ところでワタシにとっての「シンプルライフ」とは、人生に於ける諸般の事情を出来るだけ難しくさせない事、と言っても良いかと思う。これは文字通り簡素化、シンプリファイするという事で、極めて単純明快である。

そう、単純明快な人生を目指しているのである。

シンプルライフ、または簡素・質素な生活様式というのは、どこか禅やピューリタンらの考え方に通ずるものがある。純粋に自分の人生に最低限必要なものは何かという事を見出し、過剰な装飾、虚栄や執着を排除する作業とするならば、結局のところは全て精神修養なのだと思う。

つまり、彼是と物で武装しなくとも済むだけの、裸一貫の自分に対する自信や相応の自己評価を持つという事である。

ワタシの友人の中には、物や金に対して身離れが良いのが少なからずいる。これは「金に糸目は付けない」とか乱暴に物を買い占めたりするという意味ではなくて、彼是と無闇に欲しがらず、要る物だけを極少数持つ、というやり方に慣れているという事である。

育った家庭の経済事情は必ずしも相関関係に無いように見えるから、これは両親の教えや育ちの問題だろうと思う。彼らは成長の過程で既にコンセプトを消化し、自然と金や時間の使い道をわきまえた、身の程に合った暮らし方を実践しているようである。

しかし「シンプルライフ」を実践中と銘打っている同朋の皆さんのサイトなどを見ていると、その「消化」部の訓練をしていないのではと思われるのも多くある。

例えば、どれ程大量の物を捨てたと報告していても、結局また「これは便利な道具だから」、「雑貨・インテリアに凝っているから」などと言い訳して、余計なガラクタを買い込んでいる者。

また見栄えやイメージ、便宜性が先行して、その物質や使用法が人間や環境に対して破壊的である事に、全く配慮しない者。

結局は物に操られた生活をしていて、矛盾だらけである。

そういうのに限って、「何処其処の何々」が好きなどとしたり顔で、あるブランドやメーカーの商品を取り上げては、まるでそれを所有している事自体を誇りに思っている様な、時代錯誤的階級社会主義的自己満足振りを、恥ずかしげも無くサイトの端々に漂わせているのである。

まるで買う前から「何処其処の何々」というものを求めていたような感じ、つまりその物自体の良さよりも「何処其処」部が気に入っていたような、そしてそれを持てる自分というのに酔っているような感じがする。結局お前も物欲主義者か、と溜息が出る。


もう暫く溜息を付く事にするので、つづきは明日…


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