せらび
c'est la vie
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みぃ


2004年12月20日(月) 只今午後の段階で気温は−8度だそうで、昨夜の雪が積もってもいるしで出掛ける気が失せる

先日来書いているネットでの行き違いについて、ワタシの中で結論を出した。

結局のところ、ワタシには他人の心の中で起こっている事についてまで責任は負えない。だから、幾ら言葉を尽くして思うところを説明したとしても、理解して貰えない事もあるだろう。それは相手の読解力や理解力という初歩的な問題もあれば、その時の精神状態が偶々混乱していて冷静に話が聞ける状態では無かったという様なのもあるだろう。

いずれにせよ、ワタシ個人の側では解説を加えるなり別の視点から物事を見てみるなりと変更の仕様もあるけれど、他人様の事では手の施しようが無い。ましてや、互いに歩み寄る為の努力をする気が相手の側に無いのなら、こちらとしてはお手上げである。

そういうワケで、一通り説明を加えた後でお手上げ宣言というか、これで分かって貰えないのならもう結構という事で、引き上げて来た。個々人の意見の相違すら認め合いたくないのなら、致し方無い。


そもそもの始まりは、その話題に入る際、レズの彼女らの方から質問して、事情を知る人々がそれに正直に答えてあげたまでの事である。それをショックだ偏見だと騒ぎ立てているから、ほれ見た事かと気の毒に思ったのだ。特に彼女らのうちの一人は最近セクシュアリティ絡みで酷い経験をしたばかりだと言うから、尚更「フラッシュバック」と言って当時の色々な感情が蘇って来る状態になり易かったのだろう。

それが容易に想定出来たからこそ、関係者の方でも言い難い事を承知の上で、言葉を選びながら返答したのだろう。ワタシはそういう善意の人々を却って責め立てるような事態になっているのが居たたまれなかった、というのもあって助太刀をしたのだけれど、それはどうやらとんでもないお節介だったようだ。

それにしてもワタシの言った事を勝手に誤解して、それに勝手に過剰反応して、辛らつな言葉を並べて人を散々非難しておいて、いざそれが勘違いだったと分かったのなら分かったで、何か言う事があるんじゃないのかと思う。しかし呆れた等と言い捨てて〆てしまうのだから、こちらこそ呆れて物が言えないというものだ。


しかし今回の件でよくよく思い知ったけれど、二ホンジンというのは本当にとことんまで止めを刺さないではいられない人々なのだろうか。仲間同士なのに何故そこまで酷い言葉を並べて責め立てるのだろう、等と「仲間意識」を持っていたワタシの方が余程ナイーブだったのかと思われる。

そう思って、他の同種のサイトを回って見た。ある人が、そういうサイトの中には情緒不安定なサバイバーもやって来るから、精神的にバランスが良いとは言えない書き込みもある、という事を書いていて、納得した。結局は現実社会で折り合いをつけてやって行くのが当面の目標であるから、サイト上でのコミュニケーションは一寸異質な状況というか、半分妄想の世界というか、偏った現実というか、兎も角それをそのまま実社会に引きずってはいけないと思った。

あるいは、これは二ホンジンというより、以前のワタシがそうだった様に、自分が正しいと信じて疑わない人々に偶々当たっただけなのかも知れない。

それなりに挫折の多い人生を送って来たワタシだけれど、そういう自分の経験に過信して、人生の全てを分かった様な気になっていた頃があった。そういう状態だと、人には説教口調にもなり易いだろうし、また自分が間違っているかも知れない等とは夢にも思わないから、一歩引いてみるという事をしない。こうと決め付けた言い方も多くなるだろうし、それに人々が従うのを期待しているようなところもあるだろう。

これは実際、ワタシが父からされていた扱いをそのまま体言したに過ぎず、憎んでいる割にはその影響を大いに受けて育ったという事を、こうして書きながら改めて思う。

そう考えてみれば、ワタシが怖いもの知らずだった頃の友人と、それ以降の過渡期から今に至る時期に付き合っている友人とでは、割合はっきりと区別が出来ている様に思う。幼少期から現在まで続く友人らや過渡期以降の友人らと比べて、怖いもの知らず期に密度の濃い付き合いをしていた友人らとは、今では殆ど関わりが無くなっているのだ。

怖いもの知らず期の友人らに、ワタシがそれまで受けていた虐待の末の顛末であるという事情を理解して貰えたらいいのにと思う。

虐待的体質の家族と離れて暮らすようになって以来、様々のネガティブなしがらみから解放されて、また一人で様々な困難に立ち向かっていくうち、ワタシは随分変わった。過去の自分を振り返って気の毒に思う反面、他人に対しては傍若無人な振る舞いが恥ずかしくもあり、自分が以前とは随分違う人間なのだという事をじっくり話して聞いて貰いたい様な気がするのである。

しかしそれと同時に、人生の色々な段階で出会う人々とは、何らかの縁があっての故であるから、その時の自分の成長にとって彼らとの出会いは必要だったのだろうし、それ以降関わりが無くなったという事はつまり、彼らとの出会いの役目は終わったという事なのかも知れないとも思う。お役御免となった出会いに固執していては先へ進めなくなるから、それはそれと心得て、次の新しい出会いを心待ちにしつつ、引き続いている出会いを大事にしていくのがいいのだろうか。


兎も角、今日で水星が順行に戻り、明日は太陽も次の部屋へ引越しをするし、これで新たな季節が公式に始まるのだから、過去の話はひとまず終了として、未来へ向かってレッツゴー!懸案事項をさっさと片付けて、来週には何とかして小旅行へ出掛けられる様取り計らう心積りである。今日からは仕事と天気の心配だけして過ごす事にしようではないか。


昨日翌日
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