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■ いこいの水をくださる
礼拝は、有名な詩篇23篇より
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」
羊飼いなる主は、私を緑の牧に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
ここで、以前観たイスラエルの本当の羊飼いの
暮らしぶりの映像を思い出しました。
前までは、この個所は小川か何かが流れているところに
羊飼いが連れて行くイメージでいました。
ところが、あの辺りは岩のごつごつした地で、
羊飼いが水を飲ませるいったら、深い井戸から水を
くみ上げることであり、そうやって飲ませない限り、
羊は水を得ることはできない、という映像を観ました。
つまり、羊は完全に羊飼いに依存しないと
水は飲めない。
自分一人で水を捜に行っても水場は無い。
ということです。
先日、ヨハネ7章
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て
飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っている
とおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が
流れ出るようになる。」
のみことばが心に浮かびました。
それも、イエス様のところに行って水をもらいます。
だけど、クリスチャンであってもときどき渇くことは
あるよなぁ、自分もそうなるときもあるもんね。。。と
考えました。
そのときに今まで気づかなかったのですが
ヨハネ7章の欄外注にこうありました。
*すなわち「いつも、わたしのもとに来て、
いつも飲んでいなさい。」と!
2024年03月03日(日)
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