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■ パイパー牧師に聞いてみた
夕べは寝ようとした頃、激しい雷が来ました。
電気を消した部屋でも眩しくて目がやられるくらい、稲妻が光っていました。
ゴロゴロも地響きを立て、家を揺らしながら、いつもより地面に近い位置で鳴っていて、
東から西へ、西から東へと何度も何度も往復していました。
落雷と停電はしないよう祈りつつ、割と雷は好きな方なので、いつの間にか寝ていました。
今日は西の方は37℃くらい行くようです。
どうぞ熱中症などからも守られますように。
さて、
前から考えてきていた「赦し」について
実は一ヶ月前くらいに、パイパーさんにも質問を送ってみていました。(日本語で!)
「Ask Pastor Jhon」で質問を送れるのです。
自動返信が来ました。
日々たくさんの質問が送られてくるのですべての質問に答えることはできません。
過去の質問にもどうぞ目を通してください。
というメールが来ましたので、それはそうだよねーと思っていました。
今週の「Ask Pastor Jhon」は、ブラジルの兄弟からのお便りでした。
私のした質問とは内容がちょっと違いましたが、
パイパー牧師は、私の聞きたかった「赦し」に関わることを
ここに皆まとめて回答されていました。
*(私のは兄弟姉妹のことは分かって来たので、教会外の問題について、赦しと許しが混じってしまう問題をここでも聞いてみていました。 やはり答えはイエス様の十字架。 十字架の元へ行けるよう祈ることしかない、ということです。
また兄弟姉妹のことについても、パイパー牧師が実に大切なことを語っておられます。どうぞこのことでお悩みの方はぜひぜひお聞きください。
2年位前、読んでいた堀先生の本の中で「赦し」について、C. Sルイスのことばが紹介されていました。 「『我らに罪をおかす者を、我らが赦すごとく、我らの罪をもゆるしたまえ』 と書かれているのを私たちは見ないわけにはいかないのだ。それ以外の条件で われわれに赦しが与えられるとは、全然示唆されていなのである。われわれは 人を赦さなければ、自分も赦されないこのことだけは完全に明白である。 これには「抜け道」はない」
それは大変だ。。。と思いました。どちらでもいいではなく、必然。
その先を読みますと、まずは「感情」を離れて、「決断」するとありました。 そこからスタートすると段々変わって来ます。)
→ 原文はこちら
→ 「家族を赦すことについて」グーグル翻訳版
グーグル翻訳でもまぁまぁ理解できます。
「赦し」が「許し」と翻訳されちゃうのはいただけませんが。
「赦し」に置き換えて読みました。
ところどころで考えて来たことが、ここに全部まとまっています。
この問題はきっと誰もが悩むところだと思うので、
しばらくの間ここに貼っておきます。
2023年07月04日(火)
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