 |
 |
■■■
■■
■ エズラ記7章
聖書通読エズラ記7章
7:1「これらの出来事の後」の「出来事」とは、
6章までのゼルバベルが主導した「神殿再建の出来事」
です。
神殿が完成したのが紀元前515年。
それからエズラがエルサレムに帰還したのが
紀元前458年。
その間57年かかっています。(その間、エステル記
ペルシャの都シュシャンでユダヤ人虐殺の危機が
ありました)
7章からはエズラの話になります。
7:6には、エズラは「モーセの律法に通じている学者
であった」と記されています。
そして神の律法を人々に教える業を行なっていました。
それは、バビロン捕囚よりも前、ここにも書きました
ヨシア王のとき、忘れ去られていた「律法の書」が
発見され、それがヨシア王の前で読まれたとき、王は
自分の衣を引き裂きました。
あまりに神のことばから自分たちの生活がかけ離れて
いたからです。
その頃から、律法を学び、教える学者があったのです。
ゼルバベル主導による神殿再建、
ネヘミヤによる町の城壁の再建とともに、
エズラによる律法を教える改革が行われていきました。
7:10には
「エズラは、主の律法を調べ、これを実行し、
イスラエルでおきてと定めを教えようとして、
心を定めていたからである。」とあります。
「調べ」「実行し」「教える」
とあります。
私たちも神のことばである聖書をよく読んで「調べ」、
知識で知っただけでなく「実行し」、
自分が知るだけでなく、人々に「教える」ことが
できますように。
エズラはそれを「心に定めていた」と言います。
また、そのエズラの上に「神の御手」があったと、
エズラ自身が証しています。
「私たちの父祖の神、主はほむべきかな。
主はエルサレムにある主の宮に栄光を与えるために、
このようなことを王の心に起こさせ、王とその議官と、
すべての王の有力な首長の好意を私に得させて
くださった。
私の神、主の御手が私の上にあったので、
私は奮い立って、私といっしょに上るかしらたちを
集めることができた。」(7:28)
神様のみこころに歩もうとするとき
様々な困難があるでしょう。
「きょうの力」にもこうあります。
「バビロンから老若男女を連れてエルサレムまでの
長く困難な旅、しかも、金、銀の聖なる器具や宝物を
無事持ち帰らなければならないこと、さらに帰国後、
ヨルダンの川の向こうの州までもさばくことは大変な
わざです。
しかし、エズラはその解決を簡素に
『私の神、主の御手が私の上にあったので、
私は振い立った』と語るばかりです。
(中略)
たましいよ、このはてなき大空を薄絹のように広げ、
やがて十字架に釘づけされ、今は7つの巻物を持ち
たもう主の御手を思え。
その御手は、傲慢な者をひっとらえる御手であるかと
思えば、赤子の上にやさしく差し伸べられる御手でも
あるのです。
進め、進め、あなたをその御手より奪いうる者は誰ぞ!
『平安があなたがたにあるように』と上げられた御手は
私たちのために釘の穴があいた御手なのです。」
2023年02月24日(金)
|
|
 |