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■ 実に十字架の死にまで従われたのです
今日はアドベント(待降節)4週目
教会によっては今日がクリスマス礼拝のところも
あるようですが、うちは来週です。
聖書はルカ2:1〜20より
まもなく出産を控えているマリヤが
飛行機も車もない時代に、徒歩やロバの背に揺られ
旅をしなければなりませんでした。
それはどんなにか大変なことだったでしょう。
ベツレヘムに着いても、宿はどこも一杯です。
もう生まれそうなのにどうしたら良いでしょう。
結局のところ屋根があるのは外の家畜小屋だけでした。
干し草の敷かれた、飼い葉桶で
神の子イエス様は寝てくださいました。
もっときれいな場所で生まれることもできたのに
もっと王様にふさわしい
豪華な宮殿で生まれることもできたのに
どうしてそんなに低くなってくださったのでしょう。
神様は私たち人間のために、栄を捨てて
低く低くなってくださいました。
ご自分の造られた人間たちは皆
神を忘れて、ご自分から離れて行きました。
罪を犯さない正しい人はだれ一人いません。
神様を見ず、信じないで生きていることが罪なのです。
「罪から来る報酬は死です。」(ローマ6:23前)
その報酬を
どうして人にではなく、神が、
栄光輝く大いなる神様ご自身が
自ら背負うとおっしゃったのでしょうか。
燃えさかる炭の上に、どうして自らを差し出すと
おっしゃったのでしょうか。
「キリストは神の御姿であられる方なのに、
神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
ご自分を無にして、使える者の姿をとり、
人間と同じようになられたのです。
キリストは人としての性質をもって現れ、
自分を卑しくし、死にまで従い、
実に十字架の死にまでも従われたのです。
それゆえ、神はキリストを高く上げて、
すべての名にまさる名をお与えになりました。」
(ピリピ2:6〜9)
イエス・キリストは主!
ひざをかがめ拝します。
2022年12月18日(日)
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