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■ 神の摂理
求道中の人(親類)の素朴な疑問を聞いていると
へぇ、そんな風に考えるんだね!
と思うことがあります。
それで、それに対し、聖書はどのように語っているか
と、改めて考え始めると、あっという間に
時間が過ぎていきます。
今出ている課題は、その方のイメージする「神様」が、
運命論や宿命論のように捕らえているんだろうな
ということ。
それなら人間はどうしようもないじゃないか。
神様が決めているなら、人間は努力しなくなる。と。
聖書が語っているのは「摂理」
私ももっと勉強します。
創世記のヨセフはどうでしょう。
その中で人々は自分の思うままに行動していて、
中にはひどい罪も犯します。
兄弟であるヨセフに嫉妬して、殺そうという
計画さえありました。
その背後には目には見えなくても、空中の権威を持つ
支配者、サタンや悪い霊どもの働きもあります。
兄弟たちは自分の思うままに悪を行ないます。
ヨセフは奴隷として異国の地エジプトに売られ、
思いもしなかった人生を歩むこととなります。
兄弟たちにひどいことをされた悲しみや傷はいつも
ヨセフの心にあったと思います。
けれど、今いる置かれた地で
ヨセフはいつも誠実を尽くします。
「主はヨセフとともにおられた」ということばが
何度も出て来ます。
途中無実の罪で牢に入れられたりもしましたが、
その中でも誠実に過ごし、主が彼とともにあり、
監獄の長にも愛されました。
その後、神によって夢の解き明かしをし、
エジプトの地に7年の大豊作と、
そののちの7年の大飢饉があることを告げました。
そのことで、国は食料を備蓄し、ききんに備える
ことができました。
やがて、ききんが訪れ、それは世界にまで
広まりました。
ヨセフの兄弟たちも食物を求め、エジプトに買い付けに
行きます。
そこでまさかの自分たちの売った弟ヨセフに
再会することになるとは!!
そして、和解。
ヨセフのセリフ
「今、私をここに売ったことで心を痛めたり、
怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、
あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。
・・・(中略)・・・
だから、今、私をここに遣わしたのは、
あなたがたではなく、実に神なのです。」
(創世記45章)
ということで
罪は罪、神様もその罪を憎まれます。
サタンや悪い霊どももうごめいて働いています。
人は自分の意志でこれをするか、しないかを決めて
行きます。
けれどすべてのものの上に立つ神様が、
サタンの策略でさえも、ご自分の道具として
飲み込んでしまって
ご自身の栄光を輝かせます。
ヨセフは神様を信じていました。
「どうせ神様が全部話を決めちゃっているんだから、
俺は何もしない。」
のではなく、
辛い環境の中でも、
思いもしなかった異国の地に置かれても
「神様が善き方である」と信じながら、
「今、置かれた地」で、
「いつも自分の誠実を尽くして」いきました。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って
召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて
益としてくださるこを、私たちは知っています。」
(ローマ8:28)
考えていて、ヨセフが浮かんだので
ここに一通り書いて自分の中で整理してみました。
2022年11月02日(水)
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