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■ エペソ2章
いつも解説を参考にしている先生の
エペソ2章からの礼拝説教動画がありました。
(うちの教会も今週同じ個所でしたので)
→ こちら
救いはただひたすら神からの恵み。
罪赦された根拠は「キリストの血」ゆえに。(=恵み)
信仰は熱心さでも立派さでもなく
その恵みを受け取る、ということだけ。
そして救われたのは、行う者となるため
という2:10のところで
そうか、と思うことがありました。
リンクした動画の40分あたりから10節についての
説明があります。
救われて
私たちが良い行いをする、というよりも
「神が、私たちを通して、神の良い業を
行なっていく。」
だから私たちは
神のみこころに身をゆだねていけばいい。
御霊に自分を明け渡す。
今日も神さまが私を使って働いてください。
と朝ごとに祈ることなんでしょうね。
何て言うか、
元々人間は、神と向き合うように造られていて
神様の栄光を現す(反射させる)ために存在するのだから
私の罪をすべてイエス様が負ってくださって、
私の行っていないイエス様の義を、私がしたかのように
着せてくださった今、(つまりクリスチャンの今)
もう一度、創造の初めのときのように
神様と共に生きて、神様の輝きを反射させていく。
それと、
ロマ書の学びをしているもう一つの教会でも
常に言っていた
教会の陥りやすい過ちについて、この先生も
言っています。
「私たちがこうしたから」
と自分の方に原因を持って来ようとする過ち。
私が一生懸命これをしたから、神様が応えてくれる
というような。
そういうのは結局、自分に原因を持ってきていて
自分の義を立てちゃう。
恵みの福音でなくなってしまう。
前に載せましたが、
「罪を倒す唯一の方法とは?」
はそれを言っていると思う。
更に更に旅に出ます。
2022年11月01日(火)
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