書泉シランデの日記

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恋はこりごり
2006年04月10日(月)

『六百番歌合』という歌集があります。歌合なので、番ごとに左右から歌人が1首ずつ詠んで出し、判者がその優劣の判定をします。600番あれば、当然全部で1200首。ここまでは別にそう驚きでもないかもしれません。でも、その半分が恋の歌。つまり600首の恋の歌を12人の男性が詠んでいます。1人50首ずつ、それぞれ題の異なる恋の歌を詠むのです。

暇? たいしたもんだよ、その情熱、と思わないではいられない。でしょ?

好き勝手に彼女のことを想って詠むというものではなく(そりゃ昔の女のことなど思い出したことはあったかもしれないが)、一応全部お題はあてがいで決まっております。クイズに答えるようなもんです。恋の諸相を事細かにああだ、こうだ、ああだ、こうだと・・・恋ってそんなに考えがいがありますかね?しかも男ばっかり12人寄り合って。おまけにうち2人は僧籍。何を考えとるんだ、この生臭ぼーず!

初恋にはじまり、忍恋、聞恋、見恋、尋恋(尋ねて行くだけよ、会っちゃだめ)とまあ、これだけでも十分面倒くさいです。歌は詠めなくても、それぞれの情景を絵に描くつもりになったら、どんな絵が描けますか。まだまだ続きますが、面倒なんで途中は省略していくつか紹介。怨恋、旧恋はまだしも、暁恋、朝恋、昼恋、夜恋・・・あ〜うんざり・・・老恋(大昔からあったんですねえ)、幼恋、遠恋、近恋・・・寄鳥恋、寄獣恋、寄虫恋・・・寄樵夫恋、寄商人恋(コスプレでもするのかい?)。

とまあ、こんな具合にいろんな恋があるわけです。もちろんどんな恋にしても王朝美を漂わせてエレガントに詠まないと×です。獣に寄する恋では熊だの馬(駒)だの猪だの虎だのと登場します。(どんな歌か知りたいでしょ?『六百番歌合』読んでください。)

こんなにこてこてに恋の思いを表現しようとしたご先祖様がいたのに、どうして日本人男性は恋の名手として名を馳せることができなかったのか不思議です。女性は♪「待〜つわ、いつまでも待つわ、たとえあなたが私につれなくっても〜」♪という具合に、20世紀末までこの「待つ女」を引きずってきました。しかし男性が女性の立場になってまでして、あれこれ案じてくれた恋心の山のような伝統は一体どこに雲霧散消したのでしょうか。

それにしても、私は飽きました。真面目に『六百番歌合』を読み始めて、半分を過ぎ、恋にたどり着き、恋の三分の一くらい読んだところで完全に胸焼けしています。あ〜あ。



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