書泉シランデの日記

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無常
2005年10月31日(月)

十月はお悔やみが多かった。
100%義理もあったが、大事な人のこともあった。義理、なんていいきっても、ご家族やお親しい方にとっては、もちろん特別な悲しみに違いない。

高校の教科書に「無常といふこと」(小林秀雄)があった。定番教材である。同じ日本語でよくもこんな難しいことが書けるものだ、というのが第一印象で、その後、こういう文章は誰に宛てて書いているのだろう、と思った。中身が理解できかったからだ。とても特権的で排他的な日本語で書かれているように高校生の私には感じられた。

10年ほど前に兄の子がなくなったときに、私は「無常」の顔を垣間見た。朝、幼な子の死を告げられたとき、中世に引き戻された。「世の中は常にもがもな・・・」と歌った昔の人は、「無常」の毎日にいたから、「常」を希求したのだろう。私たちだって同じなのだが、普段は「常」の安定した状況が目に見えている(ような気がしている)から、「無常」には知らん顔で暮らせる。

だが、「無常」は突然、暗がりからぬっと現れて、私たちを怯えさせるのだ。

「無常」に対抗する手立ては、次の世代に何かを伝えていくことしかないのでは、と何の根拠もなく思う。亡くなった人が赤の他人の私にとってなぜ大事な人に数えられるのか―普段行き来もなかったその人が、わずかな機会に私に何を伝えたのか、を考えて、次の世代の人たちに同じようなことを実践することができたら、「無常」のたくらみに絡めとられないですむかもしれない。



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