秋が深まったら北斎だなあ、と思っていたところ、気付くと開催が始まったではないか。 おりよく?昨日、鼻水×くしゃみが派手で、職場の皆さんに「風邪ですか?」と何度も聞かれた。ということで、本当は休むと具合の悪い水曜日が大変休みやすい状況におかれ、あっさりと「風邪ひいたんで休みます」。 自分では風邪、というよりは、たぶん自律神経の問題だ、と思っていたら、案の定そのとおりで、今日は元気よく(でもないが)「北斎展」に向かった。 東京国立博物館平成館、とその名を聞くだけで、「平成」という時代の効率優先のいやらしさが立ち上りそうな建物、巨大プレハブ倉庫みたいで大嫌い。嫌いなら来るな、といわれても困るけど。 さて、展示替えはあるものの、総勢495点。目しょぼしょぼ。そうじゃなくても、浮世絵は明かりを落とした薄暗い中で細かい作品を見るのだから。 展示は時代順で、私は別に浮世絵に特段の思いいれがあるわけででもないし、狂歌や黄表紙、読本に関心があるわけでもないので、肉筆画を楽しんだ。北斎って天才だと思う。日本に天才がいるかと聞かれれば、私は北斎の名をあげるだろう。他に誰をあげるの?北斎の描線に比べれば、幕末の河鍋暁斎だの曾我蕭白だのは全然問題にならないね。おどろおどろしいだけじゃん。 今回は「夜鷹図」、「千鳥の玉川」、「来燕帰雁」、「酔余美人図」、「狐狸図」あたりが気に入った。浮世絵はざっと見た程度だが、相変わらず構図の冒険にわくわくするものがある。「おしをくりはとうつうせんのづ」、この仮名の羅列の通りでカッコイイ。 それにしても観客の話が耳に入るたびに、うんざりしてきた。たとえば、「百人一首うばが絵説」というシリーズを前にしても、どうもみなさん、百人一首が全然おわかりになっていない。だから絵が意味するものが理解できないようなのだ。仲麻呂とくれば唐土だろ、清少納言なら函谷関だろう、そのくらい何とかしてよ〜、日本文化の末は相当怪しい。怪しすぎ。チューシングラだって怪しいぞ。ましてや中国ネタはどうなっちゃうの。 まあ、これに限らず、浮世絵や挿絵に対する感想は「版画なのに細かくてすごいわね」が9割ではないだろうか。あんたらの年賀状と違うってば。 私だってわかっているわけではなく、一介の日本画ファンに過ぎない。だが、作品に対する説明のあり方の再考、鑑賞以前の基礎教養の確認がこれからますます必要になると思う。それがないと、大和絵でも浮世絵でも、伝統絵画のよさは分からない。ついでにいえば、今回の展示の説明は、英語を読んだほうが鑑賞の助けになる。英語のほうが詳しいし、ツボを押えているのだ。不思議なことだが、さすが小泉ポチの国。これじゃあ、小学校から英語教育が必要なはずだ。 わが敬愛するS先輩とここを訪れれば、三日三晩は間違いなく薀蓄を頂戴できそうである。時間と体力が許せばそれも面白そう。でも、毎度のことだが、彼の薀蓄は私の頭を素通りする。この世界に手引きしてくれたのは彼なんだけれどね。
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