ひょんなことから、マンガの『三国志』を読むことになり、読めばそれなりに読み進められるが、面倒である。でも、挫折するほどのことでもないので、昨日からようやく28冊読んだ。全部で64冊だとか。 実は下心があった。マンガにせよ、これを読破すれば、中国古典に詳しくなるのではないか、と。 だが、その目論見は見事裏切られた。一応、主要人物の名前と性格ぐらいは覚えられるが、肝心の名文句などは、全部マンガの吹き出しネームと化しているから全く用をなさない。 そもそも『三国志』が『三国志演義』となって、広く読まれるようになり、日本でも『通俗三国志』や『絵本三国志』などの形で広まったのだから、現代においてはそれをマンガで読もうとも、基本的には間違った読み方だとは思わない。むしろそもそもの作品の魅力からすれば、そちらこそ正統な読み方かもしれない。マンガのなかった時代の人と心を共にしたければ、岩波文庫でもいいだろうし、そっちのほうがインテリっぽくてかっこいいことは確か。(なんせマンガは潮出版だからねえ・・・) 読んでいると、どうしても『ドラゴンボール』と重なってしまう。なんで?といわれそうだが、結局物語の型としては同じなんじゃないかなあ、という気がしてならない。戦う状況の創出が物語を進め、戦う手段が興味を誘う。そしてそれにまつわる人間関係・・・ドラゴンボールなら食欲だったり、恋愛だったり、『三国志』なら親子の情だの君臣の忠だの義だのという名分、あるいは単に君主の欲望・・・そんなものがプロットを形作り、長くなればなるほど、それぞれの登場人物のキャラに確かな個性が感じられるようになり、読者は彼らと旧知の間柄であるかのような錯覚に陥る。 思えば、昔の人だって、かっこいいから関羽だの張飛だのといってきたわけだ。ちょっと任侠っぽいしね。 マンガの速読は得意なので、一冊10分程度で片付けられるが、それでも64冊やっつけるためには、10時間以上かかる・・・やれやれ。
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