くだんの故犬です。 ペットロスサイトのぼったくりと画一性に憤って以来、ずいぶん立ち直れました。 めそめそしないで、楽しく生前の写真なぞ見ています。一枚つきあってください。 この作業のついでに、昔のビデオなど見ることがあり、「あら、うちの息子にもこんなお茶目なときがあったのね」とびっくり。本人もびっくり。 ピアノの発表会なんかもあり、一本調子でアニメかゲームの曲を弾いていたので呆れた。当時は、ヴァイオリンの先生が厳しい分、ピアノは甘めの先生でいいや、あえて楽しさ優先の教室で2年少々お稽古したのである(中学受験で止めた)。 しかし大体、子どもにひける程度の編曲を施したら、アニメやゲームの曲なんて、薄っぺらくて、つまらないことこの上なし。バイエルの肩を持つ気もチェルニーに尻尾を振る気もないが、調性の性格や分散和音の響きの美しさに気付かせるのも先生の芸のうちではないか。お世話になった先生には申し訳ないが、あの頃の私はわかっていなかったのだなあ、と思う。チボーの挿話ではないが、音階はそれ自身で十分美しいよね。 子どもはゲームの曲だととりあえず楽しくひくかもしれないが、音楽性を根っから欠く曲では曲を完成させる(音楽性を意識する)という大事なプロセスが存在し得ないのではないかしらん、と彼のピアノのビデオを見て感じないではいられなかった。同じときにひいたヴァイオリンとはまるっきり違う一本調子なんだもの。 最近はクラッシックの曲なんて入門期にはお呼びでないのかもしれない。それなら、なおのこと、子どもに媚びないで、目の前の曲の魅力を伝えられる先生を選ばなくっちゃね、と今更、考えたところで詮無いことを思ってしまった。
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