待ち合わせの時間まで、吾妻ひでお『失踪日記』を立ち読みする。 マンガである。 今売れに売れている作品らしいけれど、それほどの内容があるとは思えない。単に変わった体験をした人の告白に過ぎないのではないか。 マンガファンから見れば、一流雑誌に連載を持つようなマンガ家の先生が失踪し、その間ホームレスになり、自殺未遂やアル中を経験していた、というだけで十分興味をひかれるのだろう。でも、それが無名の人だったら、ホームレス経験などをたらたら書いただけのマンガが売れるものだろうか? マンガファンの批評を見ると、「面白い」という賛辞が主流で、なにがどう面白いのかは言及されない。「よくそこまで描いた」というものもあるが、なにが「そこまで」なのかは印象に止まるままだ。しかし、「よくそこまで」抉りだす作品など、小説世界では全然珍しくないし、むしろそれが当然だったりもする。まんがでは通常「そこまで」描けないとするなら、それがなぜかを問い直すべきではないのか。(ただし、ソレが必要だとしてだが。) いしかわじゅんのHPにも『失踪日記』についてかなりの分量で記述があったが、私にはどうしても作者を個人的に知っているゆえの入れ込み、あるいは、実際の苦悩を見ているがために作品に表れていること以上の情報までを読み込んで評価しているような気がした。私のような行きずりの一般読者にはなかなかあの画面から絶望だの何だのとは読み取れない。 テキスト論者のように作品と作者を完全に引き離せとまでは思わないものの、作者の私生活に依存して成立する作品というものは不完全なのではあるまいか。 絵とテキストの交感による表現媒体ということで、私は内心マンガに期待するものがある。娯楽用読み捨て以上のものに飛躍できるのではないか、と。でも、なかなか現実は厳しいみたいね。描いている人にそれほどの野心はないんだろうな、きっと。
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