夫の父の墓参に高尾の霊園へ行く。 山を切り開いて出来た霊園だから、もう30年以上たっているというのに、山の芋の蔓が出てくるし、お墓が古びてきた分、雑草も山の草そのもの。 私はお墓参りはあんまり苦痛ではない。子どものとき、祖父母によく連れて行かれたから、自分の中の文化になっている。逆にお盆だ、お彼岸だ、とそのときだけの形骸的な墓参は嫌い。でも、家族でお墓掃除をして、お参りをするのは悪くない。 お墓というものは共有名義での相続が出来ないものだそうで、となると、うちはうちのお墓を用意することになるのだろう。 私はお墓が欲しいか?自分も死んだらお墓に入りたいか?というと、今のところは死んだあとには何も残らないほうがいいなと思っている。手続きが簡単なら散骨で結構、ロッカー墓でも買うほうが楽なら、それで結構。あかの他人と一緒の慰霊碑でもまったく構わない。 骨の置き場としてお墓がいるんでしょう? 骨がなければいらないよね。 お墓があるから祖父母のことを忘れないわけではない。お墓がなくても祖父母の存在は私の中でまったく変わらない。お墓の中にいるなんて考えたこともない。そして、お墓があることで、会ったこともない夫や息子に、祖父母がどんなだったかが伝わるということもない。 夫の父の墓参が面倒と思うことはないのだが、自分のお墓があることで、誰か(たぶん息子)が管理を気にしたりするのは好みじゃない。死んでまで人の世話になるような生を生きてはいないって。 今のところは、死んだら何にもなしで消えますよ、というのがむしろ理想なんだけど、お迎えが現実的になるとまた変わるかしらね。
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