自分が面白いと思ってもいないことを書くのは厳しいです、というわけで、今日も原稿書きの愚痴。 まずある物事を面白いと思って人に説明できる域に達するには、実は相当該博な周辺知識を必要とするのではないかしら。そのことだけを知っていても、位置づけが出来ないから、ポツンとお知らせしただけで終わりがち。面白い、というのは、やっぱり全体との関係性で出てくる事柄なんだろうな、と、己の無知を反省しつつ、苦吟、クギンで半日を過ごした。 それに、どんなに面白いことでも、説明がつくと無味乾燥になることが沢山ある。そのことは逆に、面白く読んでもらうためには、頭で理解するのが自然な情報でも何とか直感的にわかってもらうように仕立てないといけないということだ。 最近知った小話にこんなのがある。 ムーティが砂漠で遭難した。「神よ、どうぞ一滴の水を・・・」そう祈ると、ムーティの手のひらには水滴が。「神よ、お恵みに感謝します」そういって、ムーティーはその水滴で髪の毛をなでつけた。 さて、ムーティーの顔やそのナルシスト振りを知っている人には、これはとても笑える話だけれど、でも、「ムーティーってのはイタリアの指揮者でね、そこそこイケメンでね、おっさんだけど長めの黒髪がさらりと流れて・・・客席に背を向けてから老眼鏡をかけて、拍手で振り向くときにははずすんだよ・・・」なんて聞いた日には、せっかくの小話も理屈で理解するだけに終わる。普通に笑える面白さって、理屈で処理しちゃ絶対出てこない。 あ〜あ、やだな。自分だってそんなにわかって書いているわけじゃないんだからね。書きながらもっとわかれる(はい、これ誤用です、「わかる」は可能形になりません)ことを願っているのですが、あ〜あ。 ちなみに私はムーティ好きです。スカラ座の音楽監督の座が最近危ういことになっているようですけど。
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