『私事 死んだつもりで生きている』 中村雀右衛門 すご〜く好き、というわけではないけれど、年に数回は見るかなあ、というのが歌舞伎である。で、このところ行くたびに雀右衛門の舞台だったような気がする。誰が何に出ようとそれほどこだわりがない(知らないからこだわれない)けれど、女形がジイ様というのはちょっと嬉しくなかった。 嬉しくなかったのだけれど、先月の老人揃い踏みの「野崎村」は結構心に響いた。どこがどうよかったか、素人の私にはわからないのが残念だが、心にひびいたのはやはり老人会の芸の力であることは疑いがない。そんなわけで、珍しく買った1冊。 たあいもない聞書である。たあいもないから読める。編集者がつけたとおぼしき章題はクズだが、語り口は、たぶん実際こうなんだろうな、と思わせる。素朴でいいです。安っぽい理屈がないし、芸論もないし、芸に行き詰まり自殺を考えたあたりなんて、三流週刊誌ほどのインパクトもない。それがこの本のいいところ。 好き嫌いはともかくも、いまや歴史に残る女形なのに、高みからの物言いがない。見えているものは当然あるに違いないが、言葉に移すことに用心深いのか、自分が長年培ってきたものをライターの言葉に変えられるのが嫌なのか。 兵隊にとられて南方へ行き、病人の搬送に当たったときのことを「あのにおいは思い出すのも嫌です。いま、こうしてお話ししていても、心のどこかにブレーキがかかっているようで、あのにおいだけは思い出しません」という。この感性が気に入った。記憶を封印するほどの体験だから、その後でも(インドネシア、スマトラの旅は断っているといって)「いまはその土地に戦争の影はないとしても、わたしがそこに行って見るものは、やはり戦争であり、たくさんの人の死です」といって、体験を安易に言語化する誘惑を拒む姿勢はさすがである。その個人的な体験が共有できるとは思っていないのだね。 戦前の贅沢な生活、戦争、女形への変身、映画界進出・撤退、歌舞伎専念、となかなか変化に富む人生である。80歳までバイクに乗っていたとはとんだジイ様だ・・・。こういう変わった人には最後まで舞台を勤めてもらいたいものだ。京屋! ★★ 岩波書店 そういえば、勘九郎改め、勘三郎さんちのセブンくん、空白の3時間はキャバクラだと伝える吊り広告をみたけれど、晴れの舞台に立てずに残念ね。女形は60歳にならないとものにならんそうだから、頑張んなさい。
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