前にも書いたかもしれないが、知り合いに大仏次郎の大ファンがいて、 私が前に「『源実朝』をよんだけれど、私には今一つだったわ」といったところ、 「これを読んでみて」と持って来られた2冊を読み終えた。 『ドレフュス事件・詩人・地霊』と『冬の紳士』である。前者はノンフィクション、後者はミステリー仕立ての小説。 前者を読みながら、鴎外の史伝小説への指向があるようだ、と感じた。でも、大仏次郎は饒舌、というか、説明をしすぎて、事実を放置しておくことができない性質のように思った。ただ、大仏次郎や薦めてくれた方の人間にたいする価値観にはとても賛同できるし、組織と人間の関係にも考えさせられることは多い。 最も驚いたことは、この作品が1930年に発表されたこと。それから間もなく、日本はかの15年戦争に突入していくわけだが、作品は警鐘たりえなかったのだねえ・・・。大仏次郎自身は日本軍占領下の東南アジアを訪れているが、それに至るまでに彼の良識との軋轢はどうだったのだろう?ちと疑問。 『冬の紳士』も人間観がよく現れた作品。まず、人間観ありき、それを人々に説くためにお話を作った、という印象が免れない。一種の訓話なんだよね。 大仏作品は私が文学に求めるものとはちょっと方向が違う。「面白くてためになる」が彼の本質なのではあるまいか。「鞍馬天狗」の先生だしね。それのどこが悪いわけではない。でも、私には「ためになる」ところが嫌。 「ためになる」ことを説明しすぎなんだと思う。説明しないで感得させてくれるような筆であれば、嫌だとはいわないだろう。『ドレフェス事件』は名作なんだそうだが、鴎外の史伝小説を読んだときのような清明な感動がないのは、説明という押し付けがましさがあるからに違いない。 大体、私は説明がキライで、マニュアルは読まないし、団体旅行のガイドには耳をふさぐし、何を隠そう、昨日の晩まで仕事の話まで説明を丁寧に読まず、全然方向違いのことに夢中になっていた・・・start it all over again...
|