ほんと、「この頃わろきぞかし」。 絶不調・・・この「絶」ってどういう「絶」なんだろ、絶好調からいい加減に類推された言葉だとはわかるけど・・・まあ、いいや。とにかく絶不調。これを更○期のせいにするのは、たぶん間違っていないのだろうけれど、世の中、何でもかんでも、どうかすると30代の人までそういう言葉で物事を簡単に片付けるから、へそ曲がりの私は使わないでおく。 こりゃもう生産的なことはできない、と思って、98年スカラ座の「マノン・レスコー」のDVDを見る。暮れに録画して焼いておいたのをようやく見られたのである。絶不調にしては頑張って、音だけはステレオのスピーカーから出るように配線。7年前のクーラって若々しくて、いかにもデ・グリューの役がよく似合う。なるほどねえ、と感心して見た。熱唱だよ、熱唱。 わたしが生クーラを聴いたのはたぶん2002年だったんじゃないかな、全然いいと思わなかった。「アイーダ」のラダメス役だった。上から見下ろすような席だったから、前頭部の毛の薄さが印象的だったぞ。その頃から指揮に転身するのなんの、といわれ、歌手としての評判が下り坂だったが、また歌うほうに身が入ってきたというのが最近の噂だ。切符の値段さえ妥当なら、次の来日でまた聴いてもいいけど。 さて中村勘九郎、大変な災難だこと!七之助って見るからに、おつむ軽そうだものね。(かつらが載ると重くなって人並みかぁ?)朝、思わずワイドショーに釘付けになってしまった。夕方の本人の会見は見逃した、残念。襲名披露の公演、降りたほうがすっきりしないかねえ・・・。勘ちゃんがかわいそうじゃないですか。 あんまり芸術系の人に常識を要求するのは好みではないけれど、多くの一般人はなけなしの小遣いの中で工面して劇場に通っているのだ、そうやって伝統芸能を支えているのだ、ということをもう少し理解すると、稽古に身も入るし、役者であることの意味も見えてくるんじゃないかしら・・・もちろん、その程度のことが理解できるアタマあっての話ですが。 絶不調のわりには書いているじゃないか、とそのわけを自分なりに考えると、やっぱりクーラの声でホルモン中枢が刺激されましたかしらねえ・・・。それじゃ正真正銘の更○期?
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