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江戸時代の女性のお仕事
2005年01月26日(水)

このところ必要があって、江戸時代の女性についてにわか仕込みの勉強をしている。必要がなければしないのだから、必要は発明の母ならぬ勉強の母である。今日、林玲子さんの論文を読んでいたら、下層階級の女性の生業についての記述があって、ちょっと面白かった。

18世紀末から幕末にかけ、江戸で多かったのは、賃洗濯、賃縫いを筆頭とする賃仕事や日雇いだそうだが、江戸は男の多い都市だから、賃洗濯、賃縫いなんてのは実にわかりやすい。賃洗濯は今でも頼むが(クリーニング)、賃縫いも便利そう。

さて、その後は、武家や上流町人宅での住み込み奉公。週7日24時間勤務だからきつかったろうね。このあたり、西鶴なんぞの小説で人件費の計算なんぞすると、びっくりするほど安い。でも大女の飯炊きなんかがいいお金を取っている。乳母もいい(自分の子はどうする?)。

商売をする女は、というと、豆腐、菓子、団子、煮しめ、貝(佃煮かしら?)などを商うことが多かったそうだ。製造直売ですね。今でも田舎の村おこしでありがちなパターンか。そのほか、(細工?)、刻み煙草(専売制とのからみは?)、たどん、畳糸、糊、下駄の鼻緒などを作ったり、線香の付木や樒、花を売ったり(門前商売か?)、サービス業では寺子屋師匠、音曲師匠、按摩、とこの辺りまでは悪くないのだが、米搗き(体力いりそー、伊調姉妹みたいな人じゃないと)、水汲み手伝い(同前)魚の餌堀り(みみずを取って売る?)、紙くず選別と落ちていく。

なるほど、都市の雑役は女の手で担われていた部分も大きそうだ。でも、自立して生きていくだけの収入があったかどうかは怪しい。これが大阪だと、夫や親、場合によっては主家の家業を継承することもあったらしい。

さて、どうしてそんなことが調べられたか。大体、国勢調査をするわけではないから、印象としてこんな仕事をしていただろう、はあっても、実際の資料はないわけだ。それをどうやって調べたかというと、なんと孝女として顕彰された女の事跡からだというのである。さすが歴史の人って面白いものに目をつけるねえ。



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