読書仲間と会っておしゃべり。 毎度のことながら、みなさんの慧眼には恐れ入ります。m(_ _)m 読むことは本来個人的な営みなのだけれど、同じテキストをどう読んだか、をそれぞれ話してみることで、得られるものはとても大きい。自分の中の言葉が、外に出て行くことで人と共有され、存在が確認できるだけの読みに育つ快感。そしてその逆に、誰かの心に受け止められたものが、言葉を介して外に出され、ご本人とは独立したところで読みの像を結ぶことの面白さ。 解釈の妥当性を確認できる安心感もさることながら、見落としていた部分に気付かされたり、関連する作品や状況等について教えてもらえたり、いいことづくめ。さらにテキストの理解は同じであっても、受け止める感受性は様々なので意外な方向へと話が運ばれる。物事は一致しないほうが面白い、と言い切れるのはまさにこういう場面である。 分別のある大人(そんな人がいるとして)として振舞うことを要請される年になりながら、青臭い学生のような話をして楽しめるのは、なかなか贅沢なことかと思う。疑問を疑問として意識化させずに押さえつけ、全部わかったような顔をして過ごすのはどこか落ち着かないものだ。人間いくつになろうがわからないことはわからないのだから、無理して分別なんぞ持たなくていいやね。 長居を許してくれるパ○スホテルのラウンジもいいなあ・・・つぶれない程度にご繁栄のほど。
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