Emiの日記
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お通夜→→→2006年04月17日(月)
久しぶりにおじちゃんおばちゃん、いとこたちが集まった。
たくさんの人でにぎやかに楽しむのが好きだったおばあちゃんは、きっと喜んでいると思う。

おばあちゃんの横で泣いていたら、いとこの飼っているゴールデンレトリバーのトムが側にかけよってきた。
一暴れして、まるでわたしを元気づけようとして、そのままおとなしくよこに寝そべった。

「可愛がってもらうばかりで、なにもお返しできなかったよ」
言うと、母は
「いいのよ。おばあちゃんは、孫を可愛がるのが楽しみやったんやから」
と言った。

ゆりちゃんもあやちゃんも泣いていた。
すぐるは、たった一週間前にみんなで楽しくご飯をたべたばかりなのに信じられない様子で、男だから泣かないのかもしれないけれど、かなり辛そうだった。
「泣けない自分が嫌だ」
と言った。

セレマのひとがきて、おばあちゃんを担架に乗せて車に運んだ。
入院するたびに家に帰りたいと言っていたおばあちゃんが、セレモニーホールへ運ばれてしまう。
次に帰ってくるときは、もう骨になってしまっている。
そんなこと、考えたくない。
頭ではおばあちゃんは死んでしまったってわかっていても、心は信じたくない気持ちでいっぱい。


一週間前に母がおばあちゃんと二人散歩したときに、おばあちゃんが「ええ香りやね」と言った沈丁花を、母とゆりちゃんとあやちゃんと一緒に見にいった。
家を出て右手の角を曲がり、二、三十メートルくらい歩いたところにあるオキバヤシ先生の家の前にある、大きな沈丁花。
おばあちゃんは、その沈丁花の下で押し車の椅子に腰掛けて、少し休憩したそう。
そこからすぐ近くに見える桜は、そのときはまだ満開ではなくて、
「桜はまだ、六分咲きやね」
と言っていたとか。
今はもう、満開だよ、おばあちゃん。

寛君が亡くなったときに沈丁花がいい香りで、そのとき以来、お母さんは沈丁花があまり好きではない。
沈丁花にまた一つ、悲しみが増えたわ。
そう、ぽつりと言った。

三時前に、セレモニーホールへ向かい、湯灌に立ち会いました。
「さかさ水」(水にお湯をたしてつくったぬるま湯)の桶を右手に、ひしゃくを左手にもって、おばあちゃんの足先から胸元へお湯をかけてあげる儀式をひとりひとり順番にしたあと、母とゆりちゃん、あやちゃんとわたしだけがその場に残った。
死後硬直していても、お湯で体があたたまると筋肉がほぐれて柔らかくなるんだって。
まるで生きているみたい。
いい香りのするお風呂に入れてもらって、体中を丁寧にあらってもらって、気持ちよさそうだった。
顔の産毛も綺麗に剃ってもらった。
おばあちゃんが仲人をしていたときに良く着ていたお気に入りの波の模様の留め袖を着せてもらって、棺に横たえられた。
愛用していた化粧ポーチ(マリクワの黒地ベースでピンクの花柄の。母がプレゼントしたもの)に、化粧品(普通のファンデとかは鏡がついているので、燃やしたときにそれが溶け出してしまうため、セレマのひとが用意してくれた鏡のないファンデのパクトを入れた)、愛用していたアイブロウペンシルなんかを入れて、こっそり煙草とマッチも入れて。
お化粧してもらったおばあちゃんは、おでかけのときの綺麗なおばあちゃんになってた。
最近は背中が曲がってしまって小さくなっていたのに、骨もすっきり伸びて、元通り背がすっと高くなっていた。


お通夜は、沢山の人が来てくれていた。
ナオキおじちゃんの会社関係の人は誰もきていないから(会社が東京だし)、ほとんどがおばあちゃんの友人ばかり。
おばあちゃんがどんなに友達が多かったかってことだよね。


直樹おじちゃん、幹男おじちゃん、りょうくん、すぐる、ゆうとくんは灯の番をするため、セレモニーホールへ残り、ほかのひとは鶴の里へ戻った。

2005年04月17日(日) 毎日書かなくてもいいじゃん
2004年04月17日(土) 足が痛い2


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