るなふの日記

2006年05月05日(金) 働き遊び愛を聴く

おとといは母と一緒に美輪さんの『愛の讃歌』にいきました。
連休明けから実家では浴室の改築があるので、
部屋をかたづけたり、近所にくばるタオルとか文章をつくったり、玄関先の植木をどうしようか考えたり、と忙しいのでそんなことしている場合では実はないんだけど、
2年ほど前、あたしのうちをやっぱり購入&改築した時、芝居も絵画展もいかず全力投球で毎日リフォームやに出すお茶やお茶菓子を考えたり、夕方に掃除をしてたりしたら、ついにストレスで救急車で運ばれた実績が母にはあるので(これであたしは『ドリアン』にいけませんでした…)、まあ、今回は適度に力を抜き、好きなものもみることに決めたらしい。
その方がいいよ、ママ。
手伝うし、あたし。


『愛の讃歌』。あたし、前にもみてます。今回二回目。
エディット・ピアフの生涯を綴りつつ、歌も聴けて、美輪明宏の人生の美学もみられる舞台。
芝居とくくりで言ったら、あたしはもっとなにかひとつのテーマに絞って考えたいとか、人が本当に『群集』のように去ってゆくだけのめまぐるしい舞台なのだけど、それも許されてしまう美輪さんパワーだよな。もはやそれでよしです。
エディット・ピアフという酒と薬と男に振り回されながら、人を愛し続けることをまっとうする生き方が美輪明宏さんの美学に重なる。
本当の美輪さんはわからないけど…。

エディットは妻も子もいるボクサーと恋もするけど、
「あなたがあたしをあいしてくれるだけでいい。あなたは捨てるものはない。あなたが生きているだけで幸せ」
と言う。
でも自分は、
「あなたが祖国を捨てろといえば捨てる、月を取って来いといえば取ってくる」
と言い放つ。
そつなく恋するような男には重い女だけど、正面から向かい合い、愛し合える力のある男には堪えられない存在だ。
フランス人を鼓舞し、子守唄を歌うようにシャンソンを歌うエディットにボクサーは、
「君に僕が子守唄を歌う」
と言ってくれる。
でもそれは一瞬の出来事で。
飛行機事故で彼は死ぬ。
愛を求めている。
愛されることなどもとめてない。
ただ愛することを許されるのを求めている。
なのに運命は残酷だ。
そんな彼女がボクサーの死をかみしめつつ、初めてと言っていいほどの愛を与えてもらった喜びを胸にオランピア劇場で、『愛の讃歌』を歌う。
幸せにうちふるえて歌うものではない。
しかし究極の愛を、もういない恋人に向かって歌い上げる歌は圧倒で、そこまでの濃く深い思いをなにかと倦厭しがちな軽く薄っぺらなあたし達に訴えかける。

しかし、歌とは別にエディット自身は薬と酒で身を持ち崩し、借金まみれになる。
そこに現れる若い男。
美声を持った崇拝者の存在に彼女の心はほぐれ、そして結婚し、二人で地方を回り借金を返す。
人気者になる男をみながら、
「今のあなたはあたしのことがあるから、そりゃあそこそこスキャンダルで売れているだけ。でも歌はそんなものじゃない。音程も声も必要だけど、本当に必要なのは心を伝えること」
言い切って、自分の死期を感じる彼女は歌のレッスンを彼にしいる。
それはエディットというよりは美輪さん自身の言葉なんだと思う。

心を伝えること。

それが歌い手にしろ、俳優にしろ、ディーヴォとしての役目なのかもしれないとふと思う。
美輪さん自身が音程とか声がいいとかの、すごい歌い手なのかというとよくわかんないですけど、芝居をみて泣くことが少ないあたしがあとにも先にも歌の力で泣いたのはこの方だけだったりします。(照)

って話がそれました。
男は彼女の言葉を胸に彼女の亡き後も借金の返済のために歌い続け、すべて返済した数年後、あっけなく交通事故でなくなってしまう。
彼女のために生まれ、死んだ天使のような男、愛することを望んだ女のすべてを受け止めた男だった。


若くして生んだ子供が二年でなくなり、
男と出会い別れ、体は酒と薬と事故でぼろぼろと、
痛いようなことばかりおきる人生と、
最後に訪れた幸せを胸に幕が閉じたあと、
エディットとサラポ(20歳下の夫)が白い衣装で輝く光の中アンコール。
天上界で幸せを手に入れてゆっくり微笑む姿は美しい。


エディットは幸福だったのか?
この世の最後?
それともあの世?
それはどうでもいいように思える。
ただ自分が心から何かを真剣に愛し続けたひとだけがどこかで幸せになれるはずなのだ。
誇りかに歌を愛し、人に愛を与えることでまっとうした人生はきっとどこかでだれかがご褒美を与えてくれるに違いない。

真摯に生きるエディットにそう思った。


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