| 2006年07月09日(日) |
『あまのしげる』 天野滋 1976 |
いまさらながらに天野君の初めてのソロ・アルバムを聴いた。 今までLPで聞いていたけれど、CDのほうにはライブ音源が収録されているとのことなので、買って聴いた。 このアルバムは高校生の頃、それこそ磨りへるまで聴いた。 NSPは一番忙しかった時期だと思う。 春、秋のツアー、アルバムは年に2枚出すこともあった。 忙しかった日々に丸一月夏休みをもらって、天野君はそのお休みの間に休みもせずにこのソロアルバムを作った。本当に音楽が、作ることが好きだったんだなあ。 私はこのアルバム大好きだったけど、好きな曲とそうでない曲にわかれていた。 1曲目の「かくれんぼ鬼は誰」は今聴いてもすごいなあと思う。 こんな詞やメロディーを書く人はとうとう現れなかった。 詩人としてメロディーメーカーとして特異な存在だったことがこの1曲からでも伺える。 「淋しがり屋かごろつきか」や「野良猫夜話」のような生活密着型の歌は今も昔もあまり好きじゃない。 天野君が最後の最後まで泣きながら歌っていた「歌は世につれ」は このソロアルバムのなぜかB面の最初の曲だ。 どうしてB面の最初なのか今でもわからない。 早くから人生を凝縮するような歌を書いて、行き急いでいたのだろうか。
CD化にあたり、天野君自身がライナーを書いている。 いかにも天野君らしい文章だ。 昔のライブ音源について 「おまけがあるほうがいいかなと思ってつけた。でも、過去の作品を聴くのは少しの懐かしさを除くとあまり気持ちのいいものではない。欠点が目立つのだ。」という言葉に天野君らしさと同時に自分も同じようにそう思うと心で叫んだ。 私もなんでだか昔の写真にしろ、たとえ一月前に書いた文章にしろ読み返したい気持ちにはまずならない。 それってなんだろうと思っていた。ただ、単に過去を振り返りたくないだけだと思っていたけど、自分が前に書いたものって欠点が目立つのだ。 過去のことって懐かしさよりも欠点のほうが目立ってしまって、見たい気持ちが薄れてしまう。
天野君がこのライナーを書いたのは2004年1月29日。 丁度、ガンと戦い始めた頃だ。 ファンへのサービスの気持ちを現すために、あまり乗り気でなかったのに、 古いソロコンサートの音源を収録してくれたのだろうか。 ソロコンサートの音源は私はうれしい。 NSPとはちょっと声の違う天野君がそこにいる。どこか微妙に違う。 このアルバムはミュージシャンのアルバムであると同時に、 詩人のアルバムだと私は思っている。
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