植木屋さんの介護日記

2004年09月09日(木) わたしはさびしい

 「母親」が退院してから3ヶ月、ずっと彼女をいっしょに見守ってくれていた、訪問看護のSさんが来月から週一日になる。
 本人の様子が安定しているので、看護士の手当よりも「外出」の機会を増やす方向で生活を組み立て直したい、というSさん自身の判断を、「母親」もわたしも尊重せざるをえない。
 きょうは「仕事」に出たのだが、是非とも彼女と話がしたくて、車で15分の現場から家に戻った。(東京だと、15分は近いのだが、田舎の15分は結構走るよ。)
彼女に週一日しか会えなくなるのは、本人のみならず、わたしだって寂しい。ほんとに。
 けれども、彼女の仕事の「実績」としては、いままで2回来ていた「利用者」が、一回で済むようになるということは、飛躍的な進展であるはずだ。ありがとう、ありがとう。
 ところがですよ、病院として把握する「実績」というのは、月に幾ら稼ぎ出すか、という視点でしか評価されない。これは「絶対に」違うんじゃないか?彼女の安定したやりとりを、少し離れた場所から聞いているだけで、こころがしっとりとする。その彼女が、本人のこれからを展望して、外出機会の確保のために「訪問」を自制するのだから、こんな明かな「実績」はないと思う。
 わたしとしては、ちょっと動き出そうかな、と思っちゃうわけです。
 「月別看護料」にあらわれない「実績」を、利用者の側からうちだす必要を感じています。


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植木屋