きょうは訪問看護と訪問リハビリとが、午前・午後にあった日。 普段は、めいっぱい自己展開して、夕方は心地よい疲れに浸っているはずなのだが、「ご機嫌斜め」。 わたしは知っている。きょう「ショート・ステイ」の契約のため、通所リハビリに行っているところの事務の人がやってきたからだ。 わたしの予定としては、来月「障害児の高校進学を実現する全国交流集会」というのを、広島でやるので、その期間「ショート・ステイ」をしてもらいたいと思っている。しかし、その時になって、突然「外泊」を強いられるのもえげつなかろう、と思ったので、「ならし」のために今月の空いている日に彼女に「外泊」をお願いしたのだ。 お願いした当初から、何となく「釈然としない」感じを、彼女はもったのだろう。それが今夜噴出した。わたしも彼女も「食事」をしている最中に、オムツを替えろ指令が発令された。「食事が終わるまで待てない?」と言ったわたしの言葉に、猛然と抗議の姿勢。それならばと、お互いの食事を中止して「希望」(ほんとは希望ではないのだろうが)に答える。すると、今度は掛け物を握りしめて「オムツ交換」に非協力的な態度。結局、わたしがいまどう感じながら「あなた」と居るのか、ということから話す。「母親」泣き出す。
これだから「親子」は消耗する。が、来月わたしは広島へ行く。母親は不本意ながら、今週末「ショート・ステイ」する。わたしの都合で「生きさせられる」のだ。なぜなら、彼女は、「広島へ行くわたし」と生活しているからだ。そうでないわたしなら、たぶん一緒には生きようとしないだろうが、そういう「仮説」は意味がない。
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