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ムシトリ日記
加藤夏来
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2006年09月06日(水)
待つことを考える

ちょっと『黙って、見る』ことにこだわっていました。

色んな人が主張し、ぼやき、あるいは言い聞かせています。それについて何やら言いたいことが湧いてくるのですが、まあちょっと待てよと。話が終わるのを待つことと、自分が言いたいことを考える間に聞き逃してしまうようなことを聞き漏らさないために、時間とエネルギーを使ってみたかったのです。

ネットで見つけていっぺん話の種にしようと思っていた方がおります。物凄い過激な自然保護主義者の方で、どう考えてもその人以外には実行できないような食料や、エネルギーや、水の節約法とかを提案されていました。(気分悪くさせてしまうと失礼なので割愛しますが、公衆衛生方面の方が聞いたら失神するんじゃないかという……)

そして、自分と同じように行動しない世間の人々が憎くてしょうがないらしく、人類よ滅びてしまえ、みたいなことを挨拶代わりに主張されるわけです。自然物に肩入れしすぎて、人間以外の生命体のほうを人間よりも大事にしているようにしか見えません。

その論理があまりに意表を突いていたので、しまいにこの人が次に何を言い出すか楽しみになってしまい、はっきり言うと面白半分見守っていました。

別にその態度が間違っていたとは思いません。誰だって自由に発言する権利があります。それと同じように、その為された発言について何を思うのも自由です。大体そういう見方をしなかったら、この人の発言は単に非常に不愉快なものなので、一秒で関心を失って終わりだったでしょうから。

ただ、私はもうちょっとで、この人の発言をすっかり楽しみ終わって次に行くところでした。笑いはちょうどよく対象物からの距離をとってくれますが、同時にその距離を固定化させる傾向があります。なので、『黙って、見る』対象の中にこの人が入ったのはまったくの偶然です。ちょうどタイミングが合っただけのことです。

その間に、日記の中にこの人の過去が出てくる機会がありました。


『中学1年の秋にほんの少し前までの記憶が全くないことにふと気が付いた時には、本当に恐ろしかった。』

児童虐待から恒常的ないじめ、精神疾患、閉鎖病棟への入院。

『結局自分は、本当に駄目な人間という確信から社会に出れば、直ぐにのたれ死にするだろうという何とも不思議な事を信じ込んでいた。』


何だってこの人は、世の中の人間全部を敵みたいに見るんだろうなと、ぼんやりと思っていました。不思議でも何でもないことだったわけです。当人にしてみれば、世間は敵で人間世界が地獄であることは、当たり前の事実だったわけですから。

それでこの人の何もかもを理解したとは申しません。ただ、ふと気持ちの流れが変わるのを感じました。笑いがごく自然に収まり、待っていなかったらこれは絶対に判断できなかったな、というのも分かりました。

ここに至るまでに、黙って見ていた言葉の中に『時を待つ、というのは、できそうでできないことだ』というのがありました。『死ぬまで足掻け』というのが半ば以上正義になっている社会の中で、確かにそれは難しいことです。いつの間にか、努力することは焦ることと同義語になっていました。それが好きだと思ったことは、一度もなかったんですが。

待つことと足掻くことと、果たしてどちらが勇気のいることなのか、今のところは分かりません。ただ、言葉にしないでいることの価値は、その属性上とても分かりにくいものだと思います。どんなすぐれた文章を書くことよりも難しいかもしれない、この『最後の言葉』を扱う技術を、過不足なく習得できたらいいと思います。