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ムシトリ日記
加藤夏来
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2006年07月06日(木)
脳を引っ掛けるための釣り針

「社会は戦場ではないし、
みんなが勉強ができたわけじゃないし、
働きが悪くても飢え死にすることもないし、
規則をつくったからって守れるとは限らないし、
説教好きな人びとには、まことに怒りたくなる世界が、
昨日も今日もおそらく明日も、厳然として存在するけれど、
そういうものでしょう、もともと人間の世の中って。」


「ろくでもなさを許せる世界」 ダーリンコラムより)




わりとほぼ日のお世話になってる気がします。そもそも、上記のフレーズが愛用の「ほぼ日手帳」の床下コメントに載っていたことから探す気になったコラムです。自己申告しておくと、まさに自分の中のろくでもない部分が落ち着いたからこそ、価値が分かった文章だと思います。

もともとここのサイトを読み始めたこと自体、当時好きだった人が愛読していると言っていて、まさに「もてたいがため」にひもといた経緯があります。結局その目的はお約束のように頓挫してしまったため、しばらくほぼ日を好きでいること自体しゃくに障って仕方なかったのですが、そんな事情ももう遠くになりました。

「もてたい」、「他人に気に入ってほしい、できれば相手より上のポジションに行きたい」というろくでもない動機は、確かに入り口として誰にでもあります。そして、永遠にそのままで落ち着いているわけでもないです。その時その時に、身の丈にあった動機はあって、それは植物のように、目に見えないほどちょっとずつ変化しているもんではないでしょうか。

前ギリシャ悲劇について勉強しようと思い立ったとき、「歴史を知らなければいけない、当時の慣習について飲み込まなければいけない、そして深い理解に至らなければいけない」と思いながら資料を当たっていったところ、見事に頓挫しました。題材自体に難があったわけでもないと思います。原文はすらすら読んでしまいましたし。

ただ、その前提は考え方自体がよそからの借り物で、せいぜい「カッコつけたい」程度である、当時の自分の素の部分には合っていなかったんだと思います。昔話や神話は好きなんだから、そこんとこだけ楽しんでればよかったんですけどね。

多少必要があって、最近今度はアラビアン・ナイトを読んでいます。エロいシーンが出てくると熱心に資料を当たります。まあ、そればっかりでもなく、ふと気づくと気がかかった部分は、自然に調べ物をしたりしています。どこからろくでもないことでなくなったんだかは分かりません。そういった区分にもあまり意味は無いです。

ここでいう不純な動機、ろくでもないものが何かというのは、各個人の価値観です。「そういうだらしなさや下らない自分を甘やかす、けじめのなさが嫌なんだ」という方も、もちろんいると思います。それはそれで厳しさが澄んだ美しさにもなりますが、自分の個人的な経験から言えば、選別することよりも許すことのほうが、たくさんのものをもたらしてくれたような気がします。

何か実際に形のある物事を作り上げるまでには、摩擦力みたいなものがあります。始める瞬間のエネルギーは、動き出してからのそれとは全然システムが違います。「えっちなのがいいのv」でも「もてたい」でも「カッコつけたい」でも、ま、とりあえずいいんではないでしょうか。「結果をごろうじろ」という台詞もあることですので。