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ムシトリ日記
加藤夏来
→ご意見・ご指摘等は

2006年06月23日(金)
食卓の風景

さて、やっとワンルームが静かになりました。数年前退職して以来、母は最大の趣味であるトム公(トム・クルーズ)の追っかけ以外、中途半端にすることのない日々を送っておりまして、家族でボケ防止をどうすればいいんだなどと話し合っていたのですが、あの減らず口を聞くかぎり今日明日中にどうにかなるってことはなさそうです。

その退職時に、母に真剣な顔で『主婦って何やればいいの?』と尋ねられ、自分も見当がつかないので『さあ……』と考え込んでしまったことがあります。『手の込んだ料理を作ったり、手芸したり、ボランティアとか』など、これも適当なことをぽつぽつ答えてみましたが、『えー、ヤダ!』と渋谷の女子高生みたいな答が返ってきました。まあ、とってつけたようなことを始めるより、トム公の英語のゴシップ記事でも翻訳しているほうが体にはいいでしょうが。

とは言っても、うちの基準での「手の込んだ料理」とは到底他の家の方々が想像するようなものではありません。


1.おかずは鍋二個分まで。(汁物を含む)
2.おかずの皿は一枚まで。(もしくは全員ぶんを全て大皿に載せる)
3.材料に火が通ってさえいれば文句を言わない。
4.知らない料理は作らない。
5.たまにレシピを参照する場合は、分量は見ない。



以上がふだんのごはんの基本です。なぜか「肉の生焼けだけはいけない」というのは厳格に守られており、守られすぎて魚(と、時々ハンバーグも)が出る日はデフォルトでメイン料理を裏返してはいけないことになっていました。もちろん、食べ終わると皿状に残るわけです。炭が。

それでもたまに父が料理を担当する日があるため、「うちのご飯美味しい」で子供の意見は一致していました。これは後で知った話ですが、化学でへたくそな(不正確な)実験のことを隠語で“お料理”と呼ぶんですね。大変有能な実験者であるうちの父は、潜在的に料理は適当に作ってもいいと思い込んだらしいです。なので父担当の夕食の合言葉は、「野菜は生でも食えるんだ!」でした。じゃがいもの炒め物のときにそんな逆切れをされても、幼稚園児ですら納得がいきませんでしたが。

玉子焼きを作ればロシアンルーレットのごとく、かじる場所によって塩加減に異常な差があり、味噌汁には四分割されたネギが入ってます。おかげで話の種には困らないし、確かに消化できさえすれば育つものは育ったんで、マジに文句はありません。家の個性だと思っています。



以前、実家に家族が集まった折、ごちそうということで鍋をやることになりました。中身の調整をやっているところで「出し汁」が足りないのに気づいた父が一言。


父:『あれとって、アレ。ほら、そこの溶液
私:『そうそう、何だっけ、そこの溶媒とって』



*溶媒……溶液の成分のうち、他の成分を溶かしている液体物質。普通は最も多量に存在する液体物質。水だけでなく、シンナーやアルコール等の有機溶剤も含まれる包括的な表現。

鍋は開放系。調理は熱化学反応。味付けの差は誤差範囲内。
そういう食卓です。さすがに私ら以外は引いてます。