駅前の定食屋で夕ご飯を済ませて帰ろうとしました。何だかうるさいなあと思って後ろを見たら、どこかの中年の男性が宮崎勤の事件についてしゃべっていました。
「二人目は○○○ちゃん、当時○歳。生きていれば今頃立派なお母さんになっているだろう」
とか。延々と。一人で。 お店の人に明るく注意されても、それに返事するでもなく、止めるでもありません。 スツールごとくるっと振り返って笑顔で、 「うるさいから止めてくださいな☆」 と爽やかに呼びかけたところ、黙ってくれました。姿勢を元に戻すとまたしゃべり始めてしまうため、しばらく真っ直ぐ目を合わせて座っている必要がありましたが、結局言いたいことは分かってくれたので頭や体の機能に障害のある人ではなかったようです。
別に皆がそうだと言っているわけではありませんが、殺人事件というものは何故か人を饒舌にさせる効果があります。現実の事件に限らず、例えば推理小説といったらこれはエンタメ小説の王子様のようなものですし、軍記物、アクション映画と殺人の規模が大きくなっていくと、一大スペクタクルにもなりえます。
その楽しさの起源を遡っていくと、遺憾ながら『人殺しは楽しい』という基本的な快楽原則に話は行き着くんではないかと思います。それがいいか悪いかはひとまず置いておいて。
言っときますが(当たり前ですが)、現実その光景を実際に見たとしたら、普通の人は楽しいどころの騒ぎじゃないと思います。というかフィクションであっても、殺陣というか殺し合いの場面はよく見れば見るほど、ちっともいいものじゃありません。私は小説の材料にするので、『美しい』殺陣ばかり選んで参考にしていたのですが、それでもそう思いました。
で、一般的な感覚に逆らうのは重々承知で申しますが、上記の快楽原則は普通に誰にでも根ざしていると思います。獣が獲物をとるとき、または敵に立ち向かうとき、死や流血に対してストレスばかり感じていたのでは危険な場面を乗り切れません。ですからその獣の子孫である人間にも、闘争本能とそれに伴って快楽を感じる機能はきちんと備わっています。いくつかのキーワードやキーアイテムをスイッチとして。
本能を期限としているがため、それらは根源的で普遍的です。怒りや恐怖をきっかけとして闘争本能が発動し、それが無意識の快楽を呼び覚ますことを習慣的に経験していれば、そのキーワードであった死が快楽そのものと直接的に結びつくのは、自然な流れなのではないでしょうか。
文明社会が発展して、本能は昔どおり発動させていては役に立たない場合も多くなりましたが、その根になる部分は今も残っています。ローマ時代まで遡れば獣に人を殺させるのが人気興行だったし、けっこう近代になるまで死刑は大衆のためのエンターテイメントでした。現代ではそこに羞恥心がはたらくようになったため、ホラーやサスペンスとしてフィクションの世界へ移動し、より『洗練された』娯楽になっています。
その一方で、やはり現実の死者に対するそうした視線も消えたわけではないわけです。これも被害者やご遺族にとってはとんでもないことですが、一旦何かの媒介を通してしまった殺人事件は、簡単にエンターテイメントになりえます。ことに、真剣に重々しく考えているつもりであるために、そうした構造に気づいてもいないとなると、かなり危険なんじゃないかとも思います。お互いしゃれにならない罠にはまらないためにも、十分注意しましょう。
で、そういう話の後にミステリーを再開する奴がいるわけです。
「にいさま」
ほんの小さな声で呼びかけたつもりだったが、兄は体ごと反応した。ソファを立ち、大股に歩み寄ってくる。無言で示された方向に従いながらも、その表情に含まれためったに見られないほどの余裕のなさに気づいて、彼女は内心肩をすくめた。
「控え室にいなさいと言っただろう」 人気のない廊下に妹を連れ出したところで、兄は苦味のきいた声を出した。 「ごめんなさい。松原のおじさまに話をうかがってました」 「あの人がお前びいきなのは知ってる。だが今はふらふらしないことの方が大事なんじゃないのか」
思わず胸元の、真珠色に光る布地に目を落としてしまうと、忌々しげな溜息が降ってきた。心配するあまりの不機嫌だということは分かっている。しかし彼女も、引き下がるわけにはいかなかった。なんと言ってもこれは彼女自身の問題なのだから。
「聞いてください。注意を聞かなかったのは悪かったですけど、おかげで分かったこともあるんです。渋谷さん、どうも会社の外にトラブルを持っていたみたいで」 「聞いたよ。渋谷氏の趣味の問題だろ?」 黙るしかなくなった。さくらにできることくらい、兄はとっくに手を回していたのだ。
「会社というか、本家はとっくに承知していたらしいな。渋谷には数年来の愛人がいて、しかも若い男だってことくらい」
渋谷正弘の愛人は、京都の花柳界の人間だった。月に数度商談と称して出向くたびに、少なからぬ額の金銭を注ぎ込んでいたらしい。しかし、その関係は一方的に破棄されかかっていた。当の愛人が、別の男に好意を寄せたことをきっかけとして。
「どんな大旦那かと思えば、できたばかりの菓子屋の主人ときた。あの自信満々の渋谷にしてみれば、これ以上腹の煮えることもあるまい。花柳界の人間が金銭抜きで旦那を変えるのも解せない話だが……」 「その方の話も聞いてきました。別に裏はありません。ごく普通のお菓子屋さんです。ただ、ちょっと信じられないくらい艶福なかたではあるみたいですね」 「つまり、本家はそこまで調べていたわけだ?」
またも、さくらは居心地の悪い思いで頷いた。先代からの竜王家の大番頭である松原老人にとって、それくらいは”普通の仕事”であったらしい。ついでに渋谷が京都の財界筋から手を回して、真鍋のパティスリー”ル・ペシェール”に圧力をかけていた事実が判明したのは、ほとんどご愛敬のたぐいである。本業とまるで関係のない、土地の賃借問題の件で嫌がらせをされて、真鍋はかなり腹に据えかねていたはずだ。というのが、老人の説だった。
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