書いてふっと不安になったんですが、表題の言葉の意味が分からない人がいたらどうしよう……。
Cosmetic、化粧品もしくは美容整形のこと。普通にコスメと使いますね。うちの学校がとんでもなく無邪気であったことと、オタクのデフォルト思考が原因で、私は化粧に関してはだいぶ晩生でした。大学に入った後で、危機感を覚えたらしい母に一式揃えてもらったので、環境は整っていたんですが、余程のことがないと手を出しませんでした。いや、ただ単に面倒くさかっただけで、それ以上でも以下でもありません。
一時期マニキュアに凝ったことがあるのですが、服とか顔とかそのまんまで爪だけ塗ったので、今になって考えてみると、変でした。ポケモンネイルアートで遊びたかっただけです。
元がそういう単純な思考の持ち主なので、この傾向を変えるに至った動機も単純なものです。「コスメの魔法」という一話完結の少女マンガを読んで、「へえ、そんなものか」と思ったのがきっかけでした。
ご存知の向きもおありかとは思いますが、「コスメの魔法」はだいたい二十代から三十代の女性のありがちな悩みを、とにかくとにかく化粧品で解決する話です。こう書くと「美味しんぼ」みたいですが、あそこまで無理やりでないのは、化粧することを自己表現と捉えているあたりが、(かなり強引ではあるものの)一面現実に通じるところがあるからでしょうか。
なにはさておき、「キレイ」であることにこだわるのが、この作品の持ち味です。ただし、何をどうするとキレイになるのかは、それこそ一人一人のお客さん(その回の主人公)ごとに千差万別です。パターンはいっぱいありすぎて説明しづらいんですが、唯一直接的に定義している台詞に従えば「キレイとは、自分に自信を持つ強さ」ということになります。
さて具体的な化粧品の話に戻ります。お化粧をするとき、当然ながらその人は鏡に向かいます。(……向かわない人もいるんじゃないかとか言わないように! 結果を想像するだに気味悪い!)それなりの時間をかけて自分(の顔)と向かい合い、どこが足りなくてどこが余っているのか、自分で好きだと思ったり嫌いだったり、世間的にこれは売りだ! と思えるポイントを見つけ出します。要は内省し、自己評価を定着させます。しかるのちに、「自分はかくありたい、こうであってほしい」という理想像を描きます。そして、様々なアイテムを使ってそれを具体的に描き出します。自分の顔の上に。
そして当然ながら、自分の現実である素顔の上に努力と願望を描き出した顔をもって、世間に出て行きます。家で一人でいるときに無茶な化粧を顔に塗ったくって喜ぶ私のような変人もおりますが、大抵はそういう行動になります。
結果として、他の人に出会ったりその顔をもって語りかけたりするとき、外見的な印象という言葉にならない言語によって、その人は相手と交流することになるわけです。理想的な展開として「きれいな人ですね」という評価を得ることもあり、「そのアイシャドウ殴られたみたいやで」と真顔で注意されることもありますが、さまざまな反応が考えられます。反応をフィードバックし、自己評価やその上に築く理想像を変化させることで、当人の心理に質的な影響をもたらし……と、見ていくと、これは手順としては当たり前の「自己表現」と何ら変わるところがありません。
こないだ色々と理屈をこねくり回す機会があって考えたことですが、人と言うものは内にあるものを外に向かって表現し、それが他人に影響を与え、影響を受けた他人がまた何かを表現するという、連鎖反応によってそのあり方が決定されています。ある一人の人間を語る場合に、必ずその人間をとりまく周囲の人間の存在は欠かせないですし、大げさに言えば人の人格とは元々個人的なものではないという見方もできるわけです。当然まったく同時に、完全な交流が不可能である以上、個人的なもの以外にはなり得ないという見解もありますが。 (何かむっつかしそーなこと言ってますが、読み飛ばしても人生にはまるで影響ありませんよー。ってそれはこの文章自体がか)
「わたしはこういう人です。わたしを分かってください」
という気持ちに全てが流れ込んでいる自己表現という分野、この界隈では絵・文書の製作等で全然不思議のないものととらえられていますが、何もこれはそこまで輪郭のくっきりしたものでなくても、普通に誰もがしていることだと思います。「わかってもらえなくていいんだ」という態度に固執している人さえ、そこで壁を作ること自体が既にその人についてかなり多くのことを語っています。すみません、ここの部分は私の師匠の受け売りです。
個人の外見、飾る、化粧するという分野において、女性は数千年におよぶキャリアを持っております。エジプトのピラミッドから発掘された出土品の中には既に化粧道具入れが交じっており、この時代には結晶を利用したラメ入りのアイシャドウまであったとか。もともと呪術的な儀式であったといいますが、女という存在そのものを発露するための手段として、その霊力は現在もいささかも衰えておりません。
ごちゃごちゃと理屈を並べましたが、要はコスメも私の趣味の一つです。すっごい庶民的な、ピエヌのファンだったりします。
拍手レス
>団地妻さん 「リングにかけろ」については、古本屋で一巻と最後のほうの巻を立ち読みして、その路線の変わりっぷりにぶったまげたことがあります。「あしたのジョー」もどきと聖闘士☆矢の間に一体なにがあったんだろうと……。そしてそれ以来路線を変更した形跡の一切ない、車田兄貴の男らしさにもたまげましたね。是非お子さんたちにも、英才教育で漢としての道を教え込んであげてください。
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