初日 最新 目次 MAIL HOME


ムシトリ日記
加藤夏来
→ご意見・ご指摘等は

2005年05月22日(日)
すっぽ抜けてました

えらい忙しかった3・4月の代休の最後の一日を使って、ディズニーへ遊びに行ってました。平日に遊ぶためだけに休むというだけで、背徳感に打ち震えているチキンな自分がにくいです。シーに行くかランドに行くかで結局友人と意見が合わず、昼の部と夜の部でダブルヘッダーをかましました。諸経費で月収の三分の一が吹っ飛びましたが、やっただけの価値はあったと思います。

インディさんち・15分。海底・ストームライダー・センターオブジアース5分。火対水ショー最前列・15分。以上アトラクションの待ち時間です。最後に一人で乗ったコースターで泣きそうになったので、尻尾を巻いて帰ってきましたが、こんなことならあと一つや二つ試しておくべきだったかと後悔しています。これとあの休日のディズニーリゾートが同じ値段だというのは、どうにも納得いきません。
(詳しくない方のために。休日の待ち時間のおおよそ二十分の一以下です)

そんな感じで、先週の週末はオフと万博。今週はディズニーと創作教室。えー……見抜かれる前に自己申告します。ただ今ダウナー系です。元気がありません!(言い切った)

や、落ち込んでいるというより「積極的に元気というわけではない」という程度なのですが、今ひとつ空が抜けきらないような気分で複雑ですね。最後のとどめに「糞映画の金字塔」「今世紀最大の糞映画」と大評判の「デビルマン」を借りてきたのがとどめになったのでしょうか。監督の息の根を物理的に止めた、とまで言われる呪われぶりですから、案外それが一番的を射てるかもしれないです。

やたら慨嘆ばかりしていてもしょうがないので、原因と対策を考えます。

……って自分のHPのトップさえ見れば分かるよなあ……。

原因その1。うっかり小説を途切れさせた。しかもよりによって勢いづいている展開の途中で。
原因その1のさらに原因。ものもあろうに、主人公カップル二人の性格が分からなくなった。(しまった。ナチュラルにこの表記……)
原因その2。5月21日X−DAY。URA−Qさんが閉鎖された……。

その2については行くべき方向は分かってるので、こちらから先に参りましょう。何度も書いてるような気がしますが、私はゲームをやった時点でマルククにハマってはおりませんでした。URA−Qさんとこの小説以来妄想とか妄想とか妄想とかを始めたので、実を言うとほとんどゲーム画面は開いていない状態です。

これを別な見方すれば、私のやってる二次創作はDQ8二次創作というよりURA−Qさんの二次創作とも言えるわけです。それだけとは申しませんし、実際出ている作品を見れば「…。ん?」と思うのも事実ですが。

URA−Qさんとこを読んでいらっしゃらなかった方は完全に放りっぱなしの話をしますが、あそこの道具立ては基本的に普通です。普通すぎて陳腐になるぎりぎりの線を行っています。『強姦された相手に惚れてしまう』だとか、『初めての男が最後の男』だとか、これら全て男性向けポルノで下手を打った作品で出されたら、作者を刺したくなるくらいの古典的お約束パターンです。

前にも書いたか記憶が無いのですが、お約束であるということは決して劣った作品であるということを意味しません。むしろ能や歌舞伎と同じく、どれだけ誠実にお約束をこなせるか、その上にどれだけのオリジナリティを打ちたてることができるかが、創作者としての腕っ節の見せ所という感があります。

URA−Qさんの打ちたてたオリジナリティというのは、これも実に普通のものです。翻弄されているククールの心情をきっちり追いかけること。単純なように見えて、細切れ単発の多い同人界でこれを大真面目にやってのける人というのは、そうそういません。

短いものの連作でありながら、お互いのストーリーが並存しており、何より一人の人間の人格や心情に矛盾が無いこと。そして、その心情がどう移り変わっていったかという経緯を「中抜きナシ」で提示して見せたこと。そうそう真似のできることではありません。

はっきり言って劇中、特にマルチェロの用いている論理については支離滅裂もいいところですが、そこは問題にはなりません。

世の中理論的に整合性のある行動原理を持ってる人間なんて、そうそういやせんからです。

別に開き直ったわけじゃありませんよ。自分で行ったことのある言動を思い浮かべて、一つ一つ検証してみてください。それら全て理論的にきっちり説明できるような人間がいたとしたら、そりゃそれだけで当該人物の性格は八割がた固まったも同然です。理論というのは、基本的に感情の従属物でしかありません。「理論的に正しい」ことは人の感情を説得するにあたって良好な材料になる。ただそれだけのことです。

ましてやこの場合、マルチェロとククールはほぼ完璧な密室の中に生きています。理論がどれほど無茶苦茶で身勝手で、一方の都合と心情を完全に無視した押しつけ一辺倒のものであろうとも、言われたもう片一方が納得さえすればそれでよろしい。ストーリーが進んでいってよろしい、という意味ですが。(徹底してるなあと思ったのは、この作品世界ではマルチェロとククール以外の人間には基本的に名前さえついていないこと。意図してのことかどうかはともかく、非常に意味深長だと思います)

そして最後に、そこに書かれている心情の内容です。これも普通です……非常に残酷な事実ですが、ありふれて存在しているものです。心の底から願ってやまない愛情を、ついに得ることが叶わない、というのは。

ゲーム本編に戻って考えると、マルチェロというキャラクターはついにただの一言も弟に対して愛情を示す言葉をかけなかった男です。そしてその対となるククールの方は、ついに最後まで兄に対する愛情を捨てなかった人物です。「マルチェロはどこ行ったねんな……!」という、ファンの皆様の血を吐くような叫びはまことにごもっともと思いますが、これは多分私がホリーさんでもそうします。

「自分は兄を愛している。しかして、兄は自分を愛していない」

たったこれだけのことを納得して成長するために、ククールはゲーム本編を全て費やしました。その人生の選択に何ら影響を与えることができず、まともに対話さえすることができず、実に象徴的な場面ですが最初に二人で登場したときと同じ、「背を向けた兄をじっと見ている」ままの状態で、二人は別れていきます。違ったことといえば、手の中のちっぽけな鉄のかけら、一つだけ。

どうしようもありません。そのどうしようもなさ故に、彼らはあれほど魅力的だったのだと思います。

もろともに愚かで無力な、どうしようもない人間同士であったがために、あたら「世界でたった一人の家族」なんていう無上に貴重な関係性をドブにうっちゃってしまい、埋まることのない巨大な欠落を抱えてそれぞれに生きていかなければならない、というのが元々の二人です。その欠落こそが彼らであったし、大げさな言い方をすれば「英雄の資格」だったわけです。

URA−Qさんはその閉鎖にともなって、作品世界の中に永遠に交わることの無い、ついにわかり合うことのできなかった二人を置いていきました。それでいいんだ、といささか無理やりですが思います。だって、例えいけない道をとったにせよ、彼らが魅力的であったことは、間違いないんですもの。




すらすらりんさん、短い間ですがありがとうございました。あなたの作品世界に出会えたことを、心から幸運に思います。



でここまで書いたら対策どころじゃなくなったんで、本日の話はまた他日に続きます。