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ムシトリ日記
加藤夏来
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2005年04月18日(月)
どこかへ行きたい

というのが、昨日の日記の元のタイトルでした。書き終わってみたら内容がどこかどころか異次元イってたんで、謹んで送信後に変更させていただきました。気のせいかすばらすぃくヒかれてるような気もします……(血涙)

置いといて。

元々書こうと思ってたのは以下のようなことです。DQ8は今頃気づくのも難ですが、ジャンル自体が熱狂しています。二昔前のFF7や、ものすごく昔の幽白みたいなものです。熱や勢いはうつる物なのか、自分もただ今大分危ない妄想の人と化しておりまして、ついでにここ二年ばかりの懸案事項だった筆ストップ病が解消しつつあります。

そうすると欲も出てくるわけです。今ならどこにでも行けるような気がする、という不安の交じった期待感と、でもこの二年どこにも行けなかった自分に対する呪いみたいなものと、それでも今行かずにいつ行くんだという焦りが交じって、体がエンジンの空ぶかしに陥っているような感じがします。実際休みになると意味も無く外をうろつき回る不審な人と化しまして、コンビニの店員を不安におとしいれたりしました。ごめん。

この、『どこかへ行きたい』感っていうのは、死ぬまで持ち続けるものなんでしょうか。

自由になりすぎると何をしていいか分からなくなるという話をさいぜんしましたが、この傾向は多かれ少なかれ誰にでもあるものと思います。人間はストーリーに従って生きる動物で、そのストーリーのパターンはあまり多くありません。これは、人間にとって快感と思えるパターンが多くないということを意味します。普通に、オーソドックスにいったら、人間は不幸になるわけですね。現実は数少ない、嬉しいストーリーに従って動いてくれるわけではありませんから。

ゆえに人間は常態で不幸です。そして、生き物の本能に従って不快な状態を改善しようとします。しかし、決定的に「これがよい」と思える道が明示されている場合は少ないため、『どこか』……まだ見ぬユートピアを目指そうとするわけです。

PCをひっくり返したら昔のメモも出てきました。

『パンドラの箱が開け放たれたとき、ほとんどの不幸は世界に飛び去ったが、たった一つの悪魔だけは人間の傍を離れることなく残った。”もしかしたら”とすがり続ける人間の心に、最後の瞬間、最も深い侮辱を与えるためである。
悪魔の名を、希望という』

ものの見方は色々です。残念ながら、希望を抱くことこそが”最後の悪魔”になるパターンだって無いわけではありません。ただ、今のとこ私は脳から赤と青の汁が出てくる状態にあるので、「それもけっこう意外な展開でいかしてんじゃないの」と思えるわけですが。

ちなみに本日の日記、本当に自分の考えに整理をつけるためだけの文章です。長い上にお見苦しい点が多々あると思われますが、何卒ご容赦ください。




ところで、本日上げたgooのブログ、本腰入れて重いです……ろくなものが入ってませんので、開かなかったら諦めることをお勧めします。