ひとりごと
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もうすぐで夕食が終わるというとき、電話が鳴った。 出てみると、すぐ下の妹だった。 あわてた様子に「食事中だからあとでね」の言葉を言えないまま話を聞いた。 「この前もらったスズムシなんだけれど、土は特別な土なの?」と妹。 「ううん、普通の土でいいのよ。お庭の土でも大丈夫。」と答えた。
土曜日、妹と姪たちがお祭りに来たときに、 うちのスズムシを4匹分けてあげた。 念願のスズムシを喜んで大切に抱えて持って帰った姪だったけれど、 案の定、一度だけ車の中でひっくり返してしまったらしい。 そのときに餌が土にこぼれて、カビが生えてきてしまった。 それで新しい土を入れたいのだと言う。
「お庭の土を入れるなら、虫やばい菌がいるかもしれないから、 ちょっと電子レンジにかけるといいよ。」と付け加えた。 「ありがとう!またなにかあったら教えてね。」と妹は電話を切った。
食卓に戻って、食事中の夫に電話の話をした。 「そうか〜、土を電子レンジにかけるのか。」と夫は感心したように言った。 虫が苦手な彼は飼ったこともないのだと言う。 「小学生の頃、最初にスズムシを飼ったときには、母に土を炒めてもらったな。」 と、私は思い出して言った。 「そうか。お母さん、土を炒めてくれたか。」 「うん、中華鍋でジャッジャッとチャーハンみたいにね。」 そのときのことを思い出して夫に話した。
たしか小学校4年のときだった。 虫好きのクラスの男の子がある日の「おしまいの会」で手をあげて言った。 「うちでスズムシがたくさん孵ったので、ほしい人がいたらあげます。」 スズムシ! とってもほしかった。 でも引っ込み思案でおとなしい私は学級会で手を上げることなんてできなかった。 ましてや男の子と話すなんて、今まで一度もしたことがなかったのだ。 結局、誰も名乗り出ることはなく、男の子は寂しそうに席に座った。
「私ね、どうしてもスズムシがほしくてほしくて、それで勇気を出したんだ。」 「どうしても虫がほしかったんか。」と夫は笑いながら聞いてくれた。 「そう、だからね、掃除のあと思い切って『スズムシくれる?』って言ったのよ。」
本当にあのときの勇気は一世一代。 初めて自分から男の子に声をかけたのだった。 彼の嬉しそうな笑顔をよく覚えている。 そして次の日、紙袋の中に、まだ幼いスズムシをたくさん入れて持ってきてくれたのだった。 私は嬉しくて胸がいっぱいになった。
その頃、家を建て直している最中で、私たち一家7人は 電車で30分ほどの郊外の社宅に仮住まいをしていた。 妹と一緒に帰る電車の中で、袋の口をそっと開いては中のスズムシの様子を確かめた。 華奢な触覚や足が動いているのを見て、わくわくとしたものだった。
「その日学校の図書館でね、スズムシの飼い方を調べてから帰ったのよ。 そこに、土を消毒のために過熱するようにって書いてあったのよね。 母はおもしろがって庭の土をすくって炒めてくれたのよ。」 そのときの風景、台所の様子は今でも目に焼きついている。 新聞に広げた土を何度も触って、熱が冷めるのを待っていたのだったっけ。 やがて土をプラスチックのケースに入れ、お決まりのナスとキュウリ、煮干を入れ、 お待ちかねのスズムシたちを、新居に移した。 揺れる触角や、つややかな黒い体に私は見とれた。 キュウリやナスを食べる姿もかわいかった。
そして何週間かが過ぎ、スズムシたちは鳴き始めた。 それはそれは美しい、本当に鈴を振るような涼やかな音色だった。 スズムシのケースを庭に出し、草の香りの中で夕涼みをしながら 家族みんなでスズムシの声を聞いた。 郊外の家のその小さな庭にはほかにもいろいろな虫がいて、スズムシの声と合唱した。 見上げた夏の星空、祖母や母の横顔、贅沢な虫たちの音楽会のことを幸せに思い出す。
「そのあとなんとなく、私はその子のことが好きになったように思ったの。」 と夫に話した。 「スズムシをくれたって言うだけで、好きになった気がしたんだね。 でも気のせいだったかもしれない。それでもやっぱり好きだったのかもしれない。」 うなずきながら、夫は聞いてくれていた。
私はその後も相変わらずおとなしくて引っ込み思案だったけれど、 その子とは少し話せるようになっていた。 虫とSFが好きな彼とはもともと気が合っていたのかもしれない。 5年、6年も同じクラスになった。 何度かSFの本も貸してもらって、SFの話や虫の話もしたのだった。 「もしかしたら、初恋だったのかなぁ。でもね、その子は卒業と同時に外国に行っちゃったんだ。」 スズムシの話だったはずが、初恋の話になっていた。
6年の3学期になり、みんな中学のことを話すころになっても、 彼が何も言わないことを不思議に思っていた。 そんなとき、突然、彼が遠い国に行くことを、先生に聞かされたのだった。 「ショックだったよ〜。マンガで『ガーーーン!』ってあるでしょ。まさにあんな感じ。」 男の子同士が住所を交換する中、私はさすがにそこまでは言いだせず、 なにも特別なことを話すこともなく、卒業してしまったのだった。
「それで?」と夫が聞いた。 「それっきりだよ。ずっと会っていないの。それで終わり。」 夫の食事も終わっていた。 私はお箸を置いて、ちょっとぼんやりしてしまった。
玄関にいるスズムシの声がずっと響いている。 今はいない祖父や祖母と一緒に聞いた、星空の下の幸せな音楽会を思い出す。 そんな幸せなひと時をくれたスズムシやあの子のことを思い出す。
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