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----------2005年03月27日(日) 楽しんでみようか。
「強制された服従のなかで己れの尊厳を保つ唯一の方法。長上を事物とみなすこと。「エミール」の続編。すべての人間は必然の奴隷であるが、意識を持つ奴隷はきわめて上位にある。」(シモーヌ・ヴェイユ「カイエ1」/みすず書房)
強制。服従。尊厳。
果たして労働はそれほどまでに「不幸」なものであろうか?
たしかに今はきつい、仕方ない、一年で一番忙しい時期なのだから。
魂だって心だって思考だってどっか行っちゃって、朝起きて会社行って帰ってきてお風呂入って寝る、ただそれだけの毎日だけれど、ぶーたらぶーたら文句ばっかり垂れているけれど、私は、実は、結構、この修行僧のような生活が気にいってる。文字通り、本当に単純作業の繰り返し、毎日早打ちゲームを11時間やってるような、それだけの仕事だけれどちゃんと自分のゴッドハンドには誇りを感じてるし、毎日張り出される処理件数ランキングに自分の名前が載ってないことはありえないので「評価されること」の歓びも感じている。まあそんな評価より金をくれ、と思わないこともないけれど(笑)。
「上」は本当に鬱陶しい、自分は処理なんてしないくせに、センケン超えたニセンケン超えたうわあヨンセンケン、もうどうなってんだよ、こんだけ人入れてるのになんでこんなに溜まるんだよ、待ち時間40分? なんとかしろよ、とわめきたてて私たちの神経を逆撫でする。
でもそれさえなければ、好きなようにやらせてさえくれれば、そこには自分なりのリズムもあるし、テンポもあるし、カチャカチャという「オンガク」もあるし、「詩的」でさえ、あるよ、と今日、端末が足りないせいで別部署のフロアに10人で島流しにされてみて、思った。
下のフロアでは「デンワジジイ」のせいで熱気むんむん、とてもやりきれない雰囲気だったらしい。
文句や不満は絶えないけれど。
「長上」はああーまたなんか鳴ってるー、くらいでやり過ごしておいて、あと少し、この状況を楽しんでみようか、と思う。ねえシモーヌ、労働者は単なる「不幸な奴隷」ではないって、最近私は思うんだよ。
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