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----------2005年03月20日(日) 飛びたい。

「人間は社会的な動物であるが、社会的なものは悪である。われわれにはいかんともしがたい。それでもこの事実を受けいれることは禁じられている。さもなくば魂を失ってしまう。であるから人生は引き裂かれたものにならざるをえない。この世界は人間が生きるようにはなっていない。だからもうひとつの世界へ逃げなければならない。しかしもうひとつの世界への扉は閉じられている。扉が開くまでいくど叩かねばならないことか。ほんとうになかに入るためには、敷居のところでとどまらぬためには、社会的な存在であることをやめねばならない。」(シモーヌ・ヴェイユ「カイエ3」/みすず書房)

見失いがちだけれど私が働いているのは早く社会的な存在でなくなりたいからであってまとまったお金を手元に持って隠遁生活に入りたいからであって。

いやこの文脈でいうところの「社会的」とは審級がずれてる、とかそういうことはさておき。

地震で自社ビルが揺れてもその後の第一声が「端末大丈夫かなあ」だったりするのが「社員」だ、バカぢゃねーのこいつ、と本気で思った。

「このゴッドハンドを有する私」を「一年で一番忙しい日」に容量の小さいへっぽこ端末に座らせるのも「社員」だ、件数捌け、じゃんじゃん処理しろ、というわりには一番件数を捌くはずの人間をダメ端末に座らせる、朝一座席を確認して「本気です?」とSVに聞きにいったくらいだ。すみませんすみませんとデヴハゲは繰り返したけれど「定時で帰りますから」と切り返した。ほんとそろいもそろってバカばっか、

シネ。

なんてことをすぐに思ってしまうから「社会的」なんかでありたくないんだ。

常に私と処理件数ランキングを争ってるのに何故だか今日、競合他社の席のど真ん中に座らされて憤慨していたワタナベと一緒に定時であがって飲みに行く。ふたりで吐いた毒は相当の量で「明日も出勤だしな」とセーブしたアルコールなんかで薄まったりするはずはなかった。

仕事帰りのサラリーマンとOLを詰め込んだ地下鉄がどうしてあんなに薄汚いのか最近少し分かる。それこそが生きるために、生活するために必要な薄汚さだというのならやっぱり私はいまだ生きているということじたいを肯定できない。

飛びたい。早く。