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----------2005年03月16日(水) そうして考える。

「W・・・街の方へあがってくるとき、奇妙な体験をした。この奴隷の身であるわたしが、どうしてこんなバスに乗ることができるのだろうか。ほかのだれかと同じような資格で、一二スウ出して、バスを利用できるのはどういうわけだ。これこそ、尋常でない恩恵ではなかろうか。もし、こういう便利な交通機関はおまえのような者の使うものではない。おまえなんかは、歩いて行けばいいのだと言われて、荒々しくバスからつきおろされたとしても、その方がわたしにはまったくあたりまえのように思えるだろうという気がする。隷属状態にいたために、わたしは自分にも権利があるのだという感覚をすっかり失ってしまった。人々から手荒な扱いをうけず、なにも辛抱しなくてよい瞬間があると、それがわたしにはまるで恩恵のように思える。そういう瞬間は、天から下ってくる微笑のようなもの、まったく意想外な贈り物なのだ。」(シモーヌ・ヴェイユ「労働と人生についての省察」/勁草書房)

そこまでの隷属状態に人を突き落とすもの、それが労働。大変申し訳ございません、お手数ですが、印鑑をご訂正後もう一度再送をお待ちしておりますので、そんな電話を一日に100回は繰り返し、機械に縛り付けられていると、帰りに立ち寄ったミスドでトレイを返そうとしたら店員が「ありがとうございました、こちらでお預かりします」と笑って言ってくれただけで奇跡的な気分がするものだ。

シモーヌは「こういう精神状態をこれからもずっと持ち続けていきたいものだ」と続けるのだけれど私は違う。安定期に入った友人とリッツカールトンのロビーラウンジでハープの演奏を聴きながらお茶をする。かつて私たちがまだ若かったころ(って言ったって数年前だけどさ)、リッツカールトンは一番よく使ったホテルだった。ふたりとも恋愛なんかには倦み果てていた。綱渡りのような火遊びに現をぬかして豪奢な部屋で自分を徹底的に粗末にすることに夢中になっていた。

そのうちいつしか私は本当の恋だ、と思った恋をして、そうして彼女は去年突然妊娠して結婚した。私の恋はすっかり台無しになったけれど彼女は今幸せそうである。メルセデスを乗り回しゴールドカードで値札なんか確かめずに買い物をしていた彼女が選んだ旦那は普通のサラリーマンで、生活水準の違いや価値観の違いでケンカが絶えないそうだけれど、とにかく子供を産む、ということが、嬉しくて仕方ないらしい。

とにかくおなかの子供が大切で大切で。

彼女はそう繰り返す。そうして少し膨らみはじめているおなかを撫でる。

あの頃の私たちは、大切に、大切に、おなかの中で10ヶ月もあたためられて、そうして苦労して、辛い思いをして、産んでもらったという事実を、完全に見失っていた。

私の母は妊娠したとき子宮筋腫を患っていて、とてもではないけど出産なんて、とほとんどの産婦人科で堕胎を迫られた。それでもどうしても産みたかったから、産ませてくれる病院を探した。日生病院だけが受け入れてくれたのだという。臨月になってからはずっと入院生活で、祖母は看護婦や医者にお金や差し入れをばらまき、そうして私は当時まだ珍しかった帝王切開でこの世に生まれることを許された。母の腹を、子宮を断ち割って、授かった命なのだった。

その命をいったい、どれだけ粗末にしてきただろうか。

かしづく、という表現がまさにぴったりなウェイターの慇懃なもてなしを受けながら、そんなことを考えた。隷属状態にある私がウェイターを隷属状態にさせている、という労働の矛盾と、生を享けるということの神秘と、そうして生を有効に使うべきである、という当然の命題と。

私も子供を産まなければならない、私の子供は多分今、私の深いところで形を、言葉を、与えられることを待っている。