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----------2005年03月15日(火) 考えない
「ものを考えるのをやめなければならないということの屈辱感を、心の底から感じる。それでとうとう、わたしもいくらかはやく進められるようになった(さいごには、1時間に三フラン以上はやった)、しかし、心にはにがいしこりが残った。」(シモーヌ・ヴェイユ「労働と人生についての省察」/勁草書房)
すっかり余裕がない。結局10時から11時までの11時間45分勤務。端末障害が起こったので1時間ほどエンジニアが飛び回り、騒然とした雰囲気。アタマの中も騒然としている。それを「残業1時間、1750円、CD一枚買える」とお念仏のように繰り返して黙らせる。
別に8時間で帰ったって構わないのだけれど小さな責任感のようなものもあっていったい誰がこの住所登録の山を片付けるのか? と考えると帰れない。お金とか、時間とか、疲労とかの問題ではなくて、「あの職場に3月居合わせることの不幸」、としか名づけようのないものが確実にあって、その不幸に鈍感でいることができれば「お先に」が言えるのだろうけれどあいにく敏感なもので。
そうして敏感であるがゆえに色々なことに気づいてしまい色々なことが見えてしまい、ちょっとでも気を緩めると「ちょっと待てなんかおかしいぞ」の芽がぷくっとアタマをのぞかせるのだけれどそんなのを気にしていたら仕事が進まない、他人は他人、私は私。「ザンギヨウイチジカンセンナナヒヤクゴジユウエンシーデイーイチマイカエル」、オンガクを聞く余裕もないのだから本末転倒、多分CD1枚のために働いているわけではないことにもう気づいているけど考えない、意味は問わない、盲目的に従う。
日々蓄積していってるのは疲労だけでなく「屈辱感」なのだということに、シモーヌによって気づかされる。
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