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----------2005年02月09日(水) ブック・コンシャス
「ナジャとは、希望の中断の名、希望を告げながら、しかしその実現を成就せずに「はじまり」だけで消えていく名なのだから。」(小林康夫「表象の光学」/未來社)
久しぶりに一日を図書館で過ごす。しばらくそういうことをしない間に図書館は大きく変わったようだった。警備員が巡回し、眠っている人のかたわらに警告のカードを置いていく。鼻をつく臭いを発散させている男たちがそこここにいる。漫画が増えている。雑誌が増えている。CDが増えている。試聴ブースからは「あなたあなたあなたがいてほしい」という小坂明子の甘ったるい声が延々と洩れてきていた。ブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」を読もうと思ってロシア文学の全集を取りにいったらその前に労働者風の男が大荷物を床において座っていて、とてもではないけれどそこをどいてください、と声をかけることができなかった。
だからなじんだ棚の前に行く。目新しい本は見つからない。ショシャナ・フェルマンの「狂気と文学的事象」が何故だか2冊置いてあるのも、山形和美氏編の「聖なるものと想像力」が何故だか下巻だけしか置いてないのも、いまどき誰も読まないだろうに、クルティウスの「ヨーロッパ文学とラテン中世」がどかーんと居座っているのも、変わらない、何も、変わっていない。
変わったのは人間の側、私の側であるのだろう。そうして私は「ナジャ」らしく、何事をも実現、成就することなく、また何回目かの「はじまり」を繰り返そうとしている。いつまでも、永遠に、「はじまり」だけを繰り返す、そういう意味も、あったみたい、この名前。
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