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----------2005年02月04日(金) 併走する生命線
「彼の掌を見たとき、この若いイギリス娘の顔は、コンプスキュールもロワも、その理由を訊かずにはいられないほど、驚きの表情を示した。 「まあ、これはどういうことでしょう!・・・」とエリザベスは答えた。「あたし、こんな手を見たことがなくってよ。生命線が一本じゃない、何本もあるのよ」 「だと僕の死は単数? それとも複数ですか?」とギヨムは尋ねた。」 (ジャン・コクトー「山師トマ」/角川文庫)
私の掌にも三本の生命線が走っている。一本はとてつもなく短くて、人間の一生を80年と考えるならまずもうそれは確実に死を迎えている。もう一本はそのとてつもなく短い線の外側に、その倍の長さで走っている。けれどもそれですら親指の付け根までも届いていない。そうして三本目の生命線は二本目の生命線と併走するような形で掌の真ん中に突如出現する。
今日遅い遅い新年会で何故か手相の話になって気持ち悪い、不吉だ、と注目を浴びた私の生命線は確かあの悪名高き五島勉のノストラダムス本の中で、私と同じくらいの歳の人にだけたまに見られる奇妙な生命線で、その分断は1999年の破局とそれを乗り越えるべく運命づけられている我々日本人の姿を象徴しているのだ、と書かれていたような気がする。そんなこと書かれてなかったかもしれないけどあったこともなかったことに、なかったこともあったことになってしまうのがノストラダムス本なので別にかまわないだろう。
とにかく私は今ちょうど、二本の生命線が併走しているあたりを生きているはずだ。三本目の生命線にうまくバトンを渡せなかったらおしまいだよ、と三つの死が刻み込まれた掌は語っているのかもしれない。
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