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----------2005年01月18日(火) 言葉を見捨てたのは
「またしても、言葉はぼくを見捨てるのです。」(ホフマンスタール「チャンドス卿の手紙」/講談社文芸文庫)
見捨てられていなかったことなどなかったのかもしれないけど。腱鞘炎があまりにひどくて、ホームポジションを今更のようにきちんと押さえるよう自分に課したのだけれどそうしたらタイピングの速度がぐっと遅くなってしまって、それでなくてもすぐ行き詰る私の中の言葉の流れはなお一層、ぽつりぽつりと途切れ途切れにしかでてこなくなった。小指を使うことがこんなに難しいとは思ってもいなかった。「Enter」ってほんとに小指で打つものなんだろうか?
この時代、「書く」という行為はすぐすなわち「キーボードを叩く」という行為である。紙に、ペンで、ものを「書く」ことをすっかりしなくなった。そうして当然漢字を忘れ、自分の筆跡も忘れ始めた。文字は記号になり、記号はいつも自分から遠い。
もしかして言葉を見捨てたのは私の側なのかもしれない、と今少し思った。
「本書は、声から文字へのメディアの変化がプラトン哲学を生んだとする画期的著作である。いま進行している活字から電子メディアへの変化ははたしてどのような哲学を生むだろうか? 本書は21世紀を考えるヒントに満ちている」、という帯たたきのついたエリック・ハヴロックの「プラトン序説」(新書館)を買ったのは1999年のことなのだけれどまだ読んでいないのでいつぞや講義で使ったホフマンスタールでお茶を濁した、こんなことをしてるから、言葉に見捨てられる、やっぱり言葉を見捨てている。
・・・読もう。
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