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----------2004年12月27日(月) 罪深きゼツボウ
「ああ、かくも多くの人々がすべての思想のうちで最も祝福されているこの思想に目を蔽われてかくも空しい日々を過ごしつつあるというこの悲惨、人間は特に大衆はほかのあらゆる事柄に携わらせられて人生の芝居のために機械のように自分の力を消耗させられながらただこの祝福のことだけは決して想い起させられないというこの悲惨、おのおのの個体が最高のもの唯一のもの−人生はこのために生きがいがあるのであり、このなかで生きるのは永遠も長過ぎはしないのである−を獲得しえんがために個体として独存せしめられることの代わりに、逆に群集の堆積と化せしめられているというこの悲惨、−こういう悲惨が現存するという事実のために私は永遠に泣いても泣ききれない思いがするのである!」(キェルケゴール「死に至る病」/岩波文庫)
そうですかそうですかなんだかよく分からないけど永遠に泣いても泣ききれない思いがいたしますか、もうワタクシも泣いても泣ききれない思いですよ、今年もあと4日となりましたが仕事もあと4日です、大掃除? 年賀状? そんなことより今月の保険料いつ支払いに行けばいいのだろうとか新しい歯ブラシを買いにいく時間はあるのだろうかとかああそうだ内科に行っとかないとクスリがない、おまけに「第九聞きに行こう」と誘われたので明日はわざわざ「6時に帰ります」の希望を前もって出しておいたのにいざとなったら一人は転勤一人は妊娠で、え、もしかして私だけ? つか誘ったのおまえだろ、おまえ、な状況に陥っている私のためにも泣いてくださいよキェルケゴールセンセイ。
世間では絶望の元祖とされているはずのキェルケゴールセンセイは実は全然絶望していない。信仰に満たされた幸福な人である。ああキミたちはかわいそうな人だ、と他人のために絶望を背負いこんだという世にも稀有な人である。
でもこれを読んでいただければ分かるとおり、そういうおせっかいな絶望は誰のことも救わなかったりする。てめえひとりで不幸ぶってろばーかホントのゼツボウは明日も会社に行かなきゃならないことだ、と大センセイに悪態をついてみたくもなるええっと連勤3日目、やっぱりゼツボウは罪深い。
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