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----------2004年12月26日(日) なんとか、社会的動物(のように)
「社会的関係に対する問いは、すでに問いとして言語ゲームのひとつ、すなわち問いかけという言語ゲームであり、それはすぐさま、その問いを立てるもの、その問いを問いかけられるもの、そしてその問いの指示対象を位置付けるのであり、それ故に、この問い自体がすでに社会的関係なのだということである。」(ジャン=フランソワ・リオタール「ポスト・モダンの条件」/水声社)
・・・リオタールですら在庫切れする時代か・・・そこらじゅう下線と書き込みだらけでとてもマーケットプレイスなぞには出品できません。
・・・結局すべての「外」にいることなどできはしないのであってどうしようもなく巻き込まれている、送信ボタンをぽちっと押した瞬間に「あっ 名字違う」と気づいたのだけれど時すでに遅し。今もアタマの中であの案件二次誰が掴むのかなあ、どっかからあのミスフィードバックされてくんのかなあ、一括請求申し込んでんのかなあ、だとしたらぜーったい怒られるよなあ、ってなことがぐわんぐわん鳴り響いている。
ずえーったい怒られる。たとえそれが「言語ゲーム」にすぎないものであるとしても、怒られるのは怖い、とくにお人形SVに「こらあ!!」なんていわれたらちびっちゃう。「こらあ!!」だったらまだいいけど機嫌悪くて後ろにこっそり立たれてミス紙ぴらぴらされたりしたらもう怖くて耐えられない、どんな言い訳をしよう、と考えることでまたこれさらに深い言語ゲームの罠にはまるのだ。
私もなんとか、社会的動物のようであるらしい。
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