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----------2004年12月21日(火) 非・理想的な読者

「いったい私は何を失ったのだろう? たしかに私はいろんなものを失っていた。細かく書いていけば大学ノート一冊ぶんくらいにはなるかもしれない。(・・・)誰かが部屋の窓を開けて首を中につっこみ、「お前の人生はゼロだ!」と私に向かって叫んだとしてもそれを否定できるほどの根拠もなかった。しかしもう一度私が私の人生をやりなおせるとしても、私はやはり同じような人生を辿るだろうという気がした。何故ならそれが−その失い続ける人生が−私自身だからだ。私には私自身になる以外に道はないのだ。どれだけ人々が私を見捨て、様々な美しい感情やすぐれた資質や夢が消滅し、制限されていったとしても、私は私自身以外の何ものかになることはできないのだ。かつて、もっと若い頃、私は私自身以外の何ものかになれるかもしれないと考えていた・・・人はそれを絶望と呼ばねばならないのだろうか?」(村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(下)」/新潮文庫)

私は決して村上春樹の熱心な読者ではないがこの一節はひどく印象に残ったのか下線をひいた上にメモ帳にまできっちり筆写してあった。時折脳裏を掠める「自分の過去に復讐される」という表現は多分この本から汲み取ったものだったように思う、けれど該当する箇所を探すのは今度時間がたっぷり取れた頃にでも、改めて。

どの道をどう辿っても結局は此処に座っているような気がするくらい神経が麻痺しはじめた連勤6日目。遅番も早番も関係なくなってみんな仲良く9時9時シフト。マスクで顔の半分を覆い隠し目だけをぎょろつかせながら端末を叩き続ける11時間の間にも何か大切なものがこぼれ落ちていくのを心のどこかで感じる。

けれどどうあがいてもこれが「自分自身」なら結局は何も失っていないんじゃないだろうか? あらかじめ失うと決められていたものをなくしたからといって結局それは「自分自身」に属する事柄ではなかった、というだけのことでいつまでもなくしたものを懐かしむのは自分の排泄物に対するフェティシズムにも似てあまり趣味のいいことではない。

そういえば机の引き出しのどこかにブチ折った4本の歯の欠片をしまいこんでいるはずだ・・・。

・・・どう考えても私は「理想的な読者」から程遠い。