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----------2004年12月12日(日) いまの世のなかは関節がはずれているから
「いまの世のなかは関節がはずれている、うかぬ話だ、 それを正すべくおれはこの世に生を受けたのだ! さ、行くとしよう。」 (ウィリアム・シェイクスピア「ハムレット」/白水Uブックス)
そうしてハムレットの「軽率」な行動はデンマーク王国の崩壊を招くのみであった。亡霊の声なんぞに耳を貸してはいけない、見てみぬふりをするのがよい、世界の関節を元に戻すことなどそもそも人間に許されたことではないのだ。
はずれっぱなしの関節。
ずれ、こそが世界である、差異、こそが世界である、ソシュール? なんてな連想ゲームをもてあそぶことが私は好きだけれども今はそんなこともどうでもいい、ゲームに興じる余裕はない。これこそが世界だとたたきつけられてはいそうですかと受け入れられるなら私はこんなに軋まないはずだ。残念ながら「現実」の世界はノマドだのリゾームなどという言葉からはほど遠く、いまだ中世の、関節をもった世界のまんまである。くっきりと輪郭を持ち、固定されている、関節がはずれたまんまで、可動性を失っている。
私はあの駅でいつも一番前の車両に乗る。そうして整備された地下道を車両が走っていく様をぼんやり眺める。地下鉄は決まった時間に決まった駅に着く、レールは既に引かれており、迷うことはない。おのおのが決められた道筋を決められたようによどみなく走り続けている。世界がみな地下鉄のようだったらいいのに、とふと思った。今のところ地下世界は発見されておらず、村上春樹が描いたような混沌は、地下鉄が走り抜けるあのまっくらな空間には存在していないはずだから。
・・・でも環状線が停電で止まったりすると妙に混んでいたりしておまけに今日は「YAZAWA」のライブがはねた直後の興奮した観客に巻き込まれてしまいそこらでタオルが振られたりして地下世界も関節がはずれていたのだけれど。
さ、行かないことにしよう。
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