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----------2004年12月11日(土) もうすぐ凍りそうだ

「運命の深淵が、それとも気質の深淵が、彼と彼らとを切り離している。自分の心が彼らの心よりずっと年をとっているように思われた。自分の心は、まるで若い大地の上にある月のように、彼らの争いや幸福や悔恨を冷たく照らしている。その心のなかでは、生命も青春も彼らの心とちがってふるいたつことがなかった。」(ジェイムズ・ジョイス「若い芸術家の肖像」/新潮文庫)

切り離されている、と痛切に感じた一日。

朝の地下鉄で。朝礼で。端末を打っていて。電話をかけていて。お昼ご飯を食べていて。ミス出しをされて。休憩室で。帰りの地下鉄で。世界が通常に機能していることが不思議でならなかった。本当に自分はぼんやりと蒼い三日月にでもなったかのように、いつもどおり流れていく「下界」のありさまを見送っていた、やり過ごしていた。

ティム・ライスの「アイーダ」がはねた後のはなやいだ人ごみを真正面からかき分けて、行きかう人々を凶悪な視線で切り裂いてみても、「俗悪」なる自分はただこの人々の群れからあまりに切り離されているのだということをさらにさらに深く痛感するだけであった。

私はもうすぐ凍りそうだ。