indexbacknext

----------2004年12月10日(金) ダレルの死に思うこと

ダイムバッグ・ダレルが殺された。そう、文字通り、殺された。ライブの最中に。ファンによって。セキュリティの人と、観客も2人、殺された。撃ち殺された。

前代未聞の事件だ。

銃、射殺、ダレルの死、ネットが拾ってくる言葉はどれも空虚な感じで具体的なイメージが沸かない。けれど事実、どうしようもない事実。

「ダイムバッグ・ダレル」という名前にはあまり馴染みがない。「ダイヤモンド・ダレル」、私が高校生の頃はその名前だった。自分の喉を切ってから以降それまで好きだった音楽を一切聴かなくなって、PANTERAからも遠ざかったけれど、ムカついたときには「Fucking Hostile」、イライラしたときには「Cowboys from Hell」、それだけはもうこの10年近く、譲れない定番だった。ザクザクザクザクッと、脳味噌の中身を切り刻んでいくようなダレルのキレのいいギターの音は、私の内側に深く深く刻み込まれている。

そのダレルが、殺された。

めっちゃ強面である。長髪ヒゲ面、派手な刺青の入った腕、でもどことなく親しみを感じる、いかついけどフレンドリーなにぃちゃん、という感じの人だった。

ジョン・レノンが殺されたとき私は6つか7つだったのでその衝撃を知らない。
ランディ・ローズもラズルもその存在を知ったときはもう亡くなっていた。
クリフ・バートンは事故死だった。
フレディ・マーキュリーは病死だった。
カート・コバーンは自殺だった。
エリオット・スミスも自殺だった。

違う。
違いすぎる。

「え、なんで俺死んでんの?」

・・・無念すぎる。

ファンは時に気まぐれな存在である。だから聞く、聞かないはその人の勝手。自己弁護をするわけではないけれど、私はPANTERAが好きだと言っていながら「Far Beyond Driven」以降のアルバムを聞いていない。一部の「真のファン」を自称する人々からは嘲笑の対象にされる「似非ファン」なのだろうけれど、それはその頃の自分がそういったオンガクを必要としていなかったということ、別に「似非ファン」と罵られてもかまわない。1st2ndをこよなく愛する私の気持ちに変わりはない。

そうしてアーティストもまた気まぐれな存在であり、ファンの期待を裏切り勝手に解散したり勝手に方向性を変えたり勝手に活動休止したりする。けれどそれは彼ら彼女らが「創作」する人々である以上当然のことで、やりたくないことを無理してやってもらってもいい作品が仕上がるわけもない。

求めるものと提供されたものが合致すること、これは奇跡的な結びつきなのである。そうして一度奇跡的に結びついたものはその先何年、何十年たっても色あせない、私にとっての1st2ndがそうであるように。

私だってデイヴ・ムステインに「てめー日本に来なかっただろこのやろ」「なんでエレフソンとケンカしちゃったんだよばかやろ」なんつってタマゴのひとつくらい投げてやりたいぞ、そんなのみんな思ってるはずだ、だけど私たちは「与えて」もらってるんだ、才能と努力が産み落とした作品に、自分のフラストレーションを代弁してもらい、そうして貴重な、なにものにも代え難い、「オンガクを聞く喜び」を教えてもらってるんだ。そのくらい、アーティストとは神聖な存在であるはずだ、だから私はタマゴ投げたりなんかしない、このやろばかやろと思いつつ「the System Has Failed」を聞いてる。

求めるものを裏切られたからといって・・・。

なんで「銃弾」なんだよ。
ホントタマゴくらいにしといてくれ。
ホント全部悪い冗談だったってことにしといてくれ。

「似非ファン」、ですよ、確かにそうですよ。
でもね・・・。

本当に、本当に、心の底から、合掌。