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----------2004年12月08日(水) だから眠れない

「今西は少しも早く破滅が身にふりかかって来なければ、身を蝕む日常性の地獄が勢いを得て、一日も早く破滅がやってこなければ、一日多く、自分は或る幻想の餌食になるのだ、というオブセッションを抱いていた。幻想の癌に喰い殺されるより、一気に終末が来た方がいいのだ。もしかするとそれは、早く身の結着をつけないかぎり、自分の疑いようのない凡庸さがばれてしまう、という無意識の恐怖にすぎなかったかもしれない」(「豊饒の海(三)暁の寺」三島由紀夫/新潮文庫)

それはオブセッションではない。私が生きているから彼女も生きているのであり彼女の笑い声はまぎれもなく私が生み出したものである。「そうであるはずの姿」「そうあるべき姿」、存在しないはずの幽霊が私を喰い散らしていく。ギャップを埋めることはもう今やそれじたいが幻想に近い。幻想が幻想を呼びいつしか彼女の背中には羽根が生える。

おまえなんかに割いてやる時間は一秒たりともない、けれどそのフェアリーテイルはあまりに甘美で心地よく、幻想に身をゆだねているその瞬間だけが「ホントウの自分」であるかのような錯覚を起こさせる。もしも彼女が私だったら。私は彼女になりえたはずだ、彼女のようでもありえたはずだ、何故なら彼女を生み出したのは私であるのだから。

・・・しかしいまだに彼女は断片でしかない。途切れ途切れにしか語られないエピソードは反芻するうちに幾多のヴァリアントが形成され空隙を埋めていく、此処はもう彼女の匂いでいっぱいだ。

何処までが私なのか。何処からが彼女なのか。

決して生きられなかった私、としての彼女を私から取り上げたならそこには疲れて、やつれて、痩せこけた、ため息ばかりを繰り返す凡庸な三十女の後ろ姿しか残らない。