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----------2004年12月05日(日) それでもそこに座り続けるのは

「いや、そうではないのかもしれない。人は虚空に自己の存在を問うてしまうことの危険から身を避けるために、位階制を築き、命令の系譜を作り、服従の掟と造反への罰則を築いたのかもしれない。上から意味づけが下されるというただその一事のためにすら、人はわが命をすら犠牲にするものではないのか。「よくやった」。神の声のように、電雷のように鳴りひびく、その意味づけを欲して。」(高橋和巳「日本の悪霊」/河出文庫)

どうして椅子を蹴らないのだろう、と何度も思う。受話器を叩きつけ、キーボードでディスプレイを叩き壊して、机を蹴り上げ、マニュアルの束を引き裂いて、フロアを駆け回り、大声で歌いだし、タバコに火をつけてビールを飲みはじめるのを押しとどめるこの「力」はいったい何なんだろう、と。何が私を10時間もの長い間、ひたすら画面を見続けて、キーボードを叩き続けて、顔も見たことがない人間に向かって「お世話になっております」と丁寧語を使い続けさせるのか、と。

お金。

だけではない、のだろう。

私はたしかにあそこでは「何者か」であるのだ、8桁の数字であらわされるコードを持った何者か、ひとつのアルファベットと6桁の数字が組み合わされたパスワードで保護される情報を管理する何者か。朝出社すれば座席表には私の名前がありロッカーには私のスペースがあり机には私の端末があり私の電話がある、証明写真つきの緑色のカードを持っている、ということは社員食堂から大阪城を見下ろす権利を与えられている、ということ、白色のカードを持っているということはセキュリティフロアに立ち入る許可を与えられている、ということ、それはすなわち、そこには「私の場所」が用意されている、ということ。

そうして多分火曜日出社すれば朝、掲示板には「よくやった」が貼り出されているはずだ。

アナタハヒヨウカサレタクハアリマセンカ
イクベキトコロナスベキコトヲアタエテホシクハアリマセンカ